きっといつか、報われる。
そう思いたい気持ち、私は痛いほど分かります。
でも。
私は思うのです。
「そうじゃない
自分の手で掴もうよ」
と。
誰かがあなたのことを思って、
いつでも助けてくれるわけじゃない、と。
私は、そう考える人間です。
神様という曖昧な存在が
手を差し伸べてくれるかと言ってもそうじゃない。
もちろん思想は個人の自由なので、
「そうじゃないよ」とお考えの方も多いかもしれません。
事実、「祈る行為」によって救われた人は、膨大な数にのぼるでしょう。
だからきっと、私は少数派で。
祈ることを否定をしたいわけじゃなく、
あくまでも私はこう考えていますと伝えたいだけです。
昨今の情勢で。
一般的な感覚で言う「神頼み」とは、なんぞや。
という声を耳にしました。
ウクライナやロシアにも、 様々な宗教の敬虔な信者がいたはずです。
祈りを捧げ、涙し、信じる神に何度も手を合わせたことでしょう。
平和、愛。
手を合わせれば、救われる。
そう信じて。
しかし現状を考えれば、
「祈り」だけでは「兵器」や「悪意」には敵いません。
もちろん、それを知りながらも祈る人は多いのかもしれないけれど。
むごい、としか思えないニュースを見るたびに、
私も同じく。
「神に祈る」行為ってなんなんだろう、と。
感じざるにはいられません。
そしてこれは、 そんな壮大なスケールの話だけに留まらず。
目の前の日常にも、同じことが言えるはずです。
「日々積み重ねる努力」にも、「祈り」は敵わない。
私はそんな風に、考えます。
冷たい言い方かもしれません。
もちろん祈ることで楽になれるなら、時にはそれもいいでしょう。
しかし。
日常においては、
最後は結局「何をしてきたか」が物を言います。
どうか、負けないで。
心を強く持って。
生きていきましょう。
少なくとも、私は。
日常においてやるべきことをやるだけだな、と。
そう感じるのみです。