病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

寛容のパラドックスという化け物。

あなたは、
寛容のパラドックス
という言葉をご存知でしょうか?

これ。
最近の世の中の流れを見ていると、
私たちが向き合うべき課題のひとつかなと思っています。

なので。

まぁ。

偉そうなことを書くつもりはないのですが。
良かったらちょっと考えてみませんか?ということで、今日は記事を書きます。

寛容のパラドックスとは

寛容のパラドックスとは、簡単に書くと、

自由とか多様性を語るなら、
そうでない考えの自由や多様性も認めることになる。

こう考えた時、
その先には破滅しかない、といったような考え方です。

寛容のパラドックスの具体例

具体的な例を挙げるとですね。

たとえば、
ダイバーシティという考え方をよく聞きますが、
あれが分かりやすいかなと思います。

人の多様性を認めてください!という主張があるとするじゃないですか。
しかしそれは一方で、多様性を認めたくない!という主張の多様性を認めない、ということにつながります。

だから、
多様性を認めてください派は、そうでない人たちも認めなくてはならない。
そうなっていくと、
もはや収拾がつかなくなるわけです。(自分の主張を声高に叫ぶことはできない)

それによって。

主張そのものがぶっ壊れてしまう、ということです。

現代はパラドックスだらけ

そうなってくると、世の中がいかにパラドックスだらけかはわかるかと思います。

そして、
そのパラドックスを起こさないためには、
不寛容には不寛容でなければならない、と。
この提唱をした人は言っているわけです。

つまり、自分の主張を否定されるなら、
それとは戦わないといけないよと、そういうことです。

そうやってパラドックスを起こさないように、
やっていかないといけない。
でなければ、望む結果は得られません。

世は荒れる、つまり

つまり。
言ってしまえば。

なんらかの主張をしたいなら、
反論とは戦っていかないといけない、ということになるかと思います。

そしてそれを主張する人たちは知っているから。
世の中は「みんな違ってみんないい」とはなりにくいということです。

古来から人類は、争ってきました。

あっちが正しい、こっちが正しいと。

それは今も変わらず、形を変えて続いているということです。

いろんな主張はなくならないし、今後も増え続けるでしょう。

私たちはその中で、
自らの立場を示していかないといけません。

今までよりも一層。
その流れは加速していきます。

寛容のパラドックスはきっかけにすぎません。

主張が飛び交う現代、
そしてそれが手元に届きやすくなった現代。

あなたは、どう生きていくでしょうか。

おわりに

今日は少し尖った話になりました。

私はもう、ぶっちゃけ。
個人的には、誰とも争いたくもないし言い合いなんかもしたくはありません。
ですが、
今後はそれすらもリスクになり得るのかなぁ、なんて思うのです。

良かったら、一緒に考えてみましょう。

なんて。