弔い。
それは生きている人が前を向くための行い、ということをどこかで聞いたことがあります。
死者の霊魂が云々ではなく。
生きている人が心を納め、そしてまた歩いていく。思いを馳せる。
それが弔いなのだと、私も思います。
で。
最近やはり、こんなことがよく言われているようです。
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ぶっちゃけですね。
私もここ数年で、何人かの身内が亡くなり、
それでお寺の住職さんとお話をする機会があったのですが。
まぁ、こう。
もちろん、全てが全てそうではないという前提ですが、
「がっかり」したというのが本音です。えぇ。
お寺って、
想像以上にビジネスなんだな……と。
そんなことを思った次第です。
申し訳ないですけども。
足元を見る、というかですね。
なんか。
そんな感じなんですよ。
お金を出すのを渋ると、露骨に機嫌が悪くなってですね。
いやみな言い方をするもんですから。
私は結構我慢しました。
繰り返しますが、これは私の体験談であって、
もちろんしっかりとした住職さんもいらっしゃるでしょうから。
それはそれでいいんですけども。
そういうところもあってですね。
先に挙げたニュースのように、弔いの形が変わっているんだな、なんて思うんですよ。
墓じまいはウン十万かかるので、
私はどうしようかな、とか思っています。
うちの一族はたぶん私の代で終わりなので、
そのあたりもなんとかしなきゃいけないんですけどね。
あぁ。
そんなことを考えると、
なかなか心穏やかとは言えないお盆。
ゆっくりしたいなあ。
たまには。
なんて。
そんなことを思った今日でした。