病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

昨日に引き続き、弔いの形について。

弔い。

それは生きている人が前を向くための行い、ということをどこかで聞いたことがあります。
死者の霊魂が云々ではなく。

生きている人が心を納め、そしてまた歩いていく。思いを馳せる。
それが弔いなのだと、私も思います。

で。
最近やはり、こんなことがよく言われているようです。 news.yahoo.co.jp

ぶっちゃけですね。
私もここ数年で、何人かの身内が亡くなり、
それでお寺の住職さんとお話をする機会があったのですが。

まぁ、こう。

もちろん、全てが全てそうではないという前提ですが、
「がっかり」したというのが本音です。えぇ。

お寺って、
想像以上にビジネスなんだな……と。
そんなことを思った次第です。
申し訳ないですけども。

足元を見る、というかですね。
なんか。
そんな感じなんですよ。
お金を出すのを渋ると、露骨に機嫌が悪くなってですね。
いやみな言い方をするもんですから。

私は結構我慢しました。

繰り返しますが、これは私の体験談であって、
もちろんしっかりとした住職さんもいらっしゃるでしょうから。

それはそれでいいんですけども。

そういうところもあってですね。
先に挙げたニュースのように、弔いの形が変わっているんだな、なんて思うんですよ。

墓じまいはウン十万かかるので、
私はどうしようかな、とか思っています。

うちの一族はたぶん私の代で終わりなので、
そのあたりもなんとかしなきゃいけないんですけどね。

あぁ。
そんなことを考えると、
なかなか心穏やかとは言えないお盆。

ゆっくりしたいなあ。
たまには。

なんて。
そんなことを思った今日でした。