どんなに理屈を捏ねようとも。
時としてそれを凌駕するのが「気持ち」だと私は思います。
数学で言えば1+1=1でしかないんですけども。
気持ちによって変化する事柄であれば、無限大。
そこを以下にコントロールするかが人生に与える影響は、
決して小さくないものだと思うのです。
えぇ。
だから。
すこーしずつですね。
世の中の流れは変わっているもので。
結構、そういった「なにくそ!」的な気持ちの発揮どころがなくなりつつあると思うんですよ。
別にそれが悪いということではないんですけどね。
それは多様性なんかがいい例だったりして。
多様性が認められることによって、
多様性が認められなくて苦しんだ人たちが減る一方で、
認められないからなんとかしてやろう!という人たちや経験も、
同時に減っていく。
こと多様性に関してはそれでいいのかもしれないですが。
なんていうかですね。
そういう快適さによって失われるものってあると思うんです。
※多様性は例として書いただけでそれが悪いということではありません
ね。
なにが言いたいかというと。
快適になりつつあるこの世の中で、
私たちはなにを拾うか?
ということです。
先人たちは、一つひとつ、
己の正義だと思うものを積み上げてきていて、私たちはその上に立っているわけなんですけども。
その中でですね。
その快適さだけを享受するのではなく、
その上で我々はなにを残し、
次世代に繋いでいくのか。
というところが大事なのかな、と思いました。
小難しい話かもしれないけれど。
きっとなんか大事な話な気がする、とか。
そんなことを思った今日でした。