昔からですね。
親が子に手をかけた、というニュースがたまにあるじゃないですか。
最近では、子が親を手にかける、というニュースも見ます。
今日はそんなお話を少しだけ書こうと思います。
家族。
私は正直なところ、
あまり家族愛というものを見ずに育ちました。
別に虐待をされていたわけではありませんが、
まぁ普通の家庭という程度です。
で。
でですよ。
大人になってわかるんですが、
家族って時々、残酷な関係性だなって思うのです。
あくまでも私の考えですよ。
子は親を選べないし、親も子を選べない。
この言葉、私はあまり好きではないんですけども。
よく言われる言葉です。
要するに、
親子の考えとか、利害みたいなものが一致しないときに使われるものです。
親は子に、
「こうなってほしい」
「ああなってほしい」
そんな幻想を抱くのでしょう。
しかし、子も大きくなれば、
「こうなりたい」
「ああなりたい」
「ああしたい」
と、自我を発揮し始めます。
その時にですね。
親は、親の思惑通りに子どもが育つわけではない、ということを知らなきゃいけないはずなんです。
ある程度の年齢になったら尚更です。
しかし。
親は親で、
「こうあってほしい」という願いを捨てられず、
子は子で、
「こういう親であってほしい」と願うのです。
その双方の思惑は、必ずしも一致しません。
そして残酷なことに、
家族である以上、ある程度の連帯責任というものが自動的に発生してしまうのです。
子が大きくなり、老いた親にとって、
子は頼りであり、自らの最期の責任を負わせることになります。
子は子で、親の考え方や状況によって育つしかないわけで、
そこに矛盾を感じつつも生きていかなければならない。
これは稀なケースですが、
例えば家族が犯罪を起こせば、自分の人生だって狂いかねない。
家族が莫大な借金を負えば、自分の人生も崩壊しかねない。
家族とは、そんな危うい関係性でもあると思うのです。
そんな近しくも危うい関係性だから、
家族に手をかける、などという悲劇だって起こるのです。
難しいですよね。
うまくいっていればいいのですが。
私は世の中の家族が家族愛に満ち溢れた幸せな家庭ばかりではないと思っています。
そんな中で、
どう生きるか。
それは複雑でシンプルなものなんじゃないかな、なんて思うわけです。
なんて。