私たちの世界は、
きっと今より未来は存在しません。
この一瞬一瞬が、作られていく歴史であって、
まるで天を目指すバベルの塔のように、
最高到達点の繰り返しなんじゃないかな、と私は捉えています。
だからなんだって話ですが。
未来はわからないから怖いんです。
バベルの塔であれば、
高くなればなるほどにその恐怖は増すでしょう。
未開のジャングルであれば、
進めば進むほど。
安全な場所から遠ざかれば遠ざかるほど。
心細くなったり、怖くなったりするものです。
それらを合わせるとですね。
人生ってやつはどうにも、
恐怖がつきまとうってことになります。
未来のことがわからなくて、
選択するのが怖いとか。
会社を辞められないとか。
謝罪できないとか。
老後が不安だとか。
様々ありますけど。
その恐怖に打ち勝たないと、手に入れられない未来があるんです。
何かを犠牲にして挑戦する。
恐怖に負けずに、戦う。
過去の偉人たちが、
「敵は己の中にある」と言ってきたのは、
全てこういうことなのでしょう。
何かに打ち勝つことができれば、
きっと見える世界は変わる。
何かに打ち勝つことは、決して博打や犠牲ではなく。
自分が自分であるために、必ずやらなくてはいけないことです。
震災で、たくさんのものを失ったり、
コロナ禍でたくさんのものを失ったり、
仕事を辞めたり、
学校を卒業したけど就職先が決まっていなかったり。
そんな経験をした人はわかるかと思います。
自らの未来に、確かなものが存在しない感覚を。
それらを這って、
恐怖を感じながらも進んで。
そしてたまに見える、自らが培った可能性を掴んで、
一つひとつ命綱のように繋ぎ合わせて。
吹き荒れる恐怖の風に飛ばされないように生きていく。
そんなもんが人生の一つの形なんだなって思うのです。
もちろん、それが誰にも当てはまることではないと思います。
これはあくまでも私の感覚にすぎません。
だから。
ちゃんと足元を見て、
しっかりとその足で立ちましょう。
なんて。
そんなことを思った今日でした。