人って、そんなに余裕がないと思う私です。
なぜなら、命には刻限と言うものがあるからです。
限られた人生の時間、
そして己の生きてきた意味や、過程。
たった一度の人生において、
それを少しでも確かなものにしたいがために。
人は他者に関わったり、
要求をしたり、行動したりするものだと思います。
腹は言葉では膨れない。
大人になろうとなんだろうと、
赤ちゃんが空腹で泣き叫ぶのと同じです。
泣き叫ぶという行動が、
別のものに置き換わるだけなんです。
ある人は、
黙って仕事をしてお金を稼ぎ、食べ物を手にいれる。
またある人は、
人を騙してお金を稼ぎ、食べ物を手にいれる。
「飯はまだか」と叫ぶ人がいれば、
家族の面倒を見て、対価として食事にありつく人もいます。
全ては、食べるものを手にいれるための方法です。
全ては、命を繋ぐために行われるのです。
もちろんそうじゃないこともありますけどね。
極論も極論。
人生における安全圏の獲得のために。
人は努力し、言葉を話し、行動していくのでしょう。
これが「人生」のひとつの側面と言って過言ではないと私は考えます。
職場で理不尽をぶちかまし、
己の居場所をひたすらに守ろうとする人なんかね。
どこにでもいると思うんですけども。
赤ちゃんが泣き叫んでいるのと同じと思えば、
なんか可愛く見えてくるような気がしますね。
なんて。
そんなことを思った次第です。
どこまで行っても、
この世は弱肉強食です。
少ない食料で生きることに幸せを見出すもよし。
誰かを蹴落として自らの食糧を得ることも、別に悪いことだとは思いません。
世の中、そういうもん。
割り切っていこうぜ!というのが今日の書きたいことでした。
なんて。