善行を積むということは、
時として自己満足だったり、自己犠牲だったりするものです。
今日はそんなお話。
人はですね。
自分だけで何でもかんでもできるわけではありません。
美味しい料理が食べたければ、
どこかに外食に行ったり。
綺麗なものが見たければ、
どこかの誰かが整えた観光地に行ったり。
自分以外の誰かがやってくれた何かに頼ることで、自らの欲望や願望を叶えることが大半だと思います。
つまり世の中には、
誰かの欲望を叶える人がいるわけです。
その行為にはいろんな名前がついてますが、多分1番有名な名前は、「仕事」というやつです。
その仕事というやつは、じゃあ誰のためにやっているのか?と考えると、その大半は「自分のため」となるのではないでしょうか。
基本的にはそんな感じだろうと思います。
お客様の笑顔が見たいから、なんて言葉もありますけども、じゃあそれを無料でやるかって言ったらできないわけじゃないですか。大半は。
そういう世の中において、
誰かのため、なんてやりがい搾取みたいなことはですね。考え方としては大切かもしれませんが、事実的にはそれだけではよくないよね、ってことが書きたいんですよ。
で、これは別に本筋ではありません。
最終的には何が書きたいねん?って話ですが、
やっぱりまずは自分のためにやっていこうや、ってことです。
私は冒頭、
善行を積むということは、
時として自己満足だったり自己犠牲だったりするものです。
と、書きました。
それ、危ないよ?ということです。
善行という言葉に踊らされて、
自分を犠牲にしてでも何かをしようとすることがです。
そういうことを書きたいと思った日でした。