「人はどうしたって、忖度するもの」
そう、私は考えています。
誰もが、「他者に評価された経験」があるかと思います。
果たしてそれは、「公平に評価されている」と言えるでしょうか。
今日は、そんな評価の話です。
もしかしたら、冬のボーナス前の査定があった、なんて方も多いのではないでしょうか。
「人の認知にはバイアスがかかる」という定説があります。
バイアスとは、要するに「思い込み」「偏り」といった意味です。
どうあっても、何かしらのバイアスがかかるのです。
好きな人、嫌いな人。
好きな顔、苦手な顔。
好きな性格、嫌いな性格。
嫌なことをされた思い出や、助けてもらったという感謝まで。
見た目から、性格、過去の出来事など、様々な要素を含んで。
人は人を見ています。
そしてそれは、たとえばボーナスの査定をする上司と、査定される側の部下。
先生と、生徒。
など。
評価をつける、つけられるという関係性においても例外ではありません。
もっとも有名なのは、「ハロー効果」です。
高学歴の人は、仕事もできる。
顔がいい人は、頭もいい。
身だしなみがきちんとしている人は、しっかりもの。
こんなふうに、一つ抜きん出たものがあると、他の部分もよく見える(期待する)というものです。
あなたも、こうやって人を判断したことに、身に覚えはないでしょうか。
正直、私はよくあります。
ちなみにこれは、逆も然り。
悪い点があれば他の部分も、低い評価をつけがちなのです。
「これができないのだから、あれもできないだろう」
こんな思考が働くのです。
だから、公平な判断、というのはとても難しい。
先日、私が勤める会社でボーナスの査定がありました。
昔ながらの、上司の独断と偏見が多分に反映される仕組みで。
中々に理不尽で厳しい査定をもらった方もいたようです。
かと言って。
たとえば、営業マンなら業績に基づいた歩合など、
100%の事実のみを査定に反映するならば、それはそれで阿鼻叫喚の地獄絵図になるのかな、と思います。
私は、どちらかと言えば分かりやすい後者の査定の方が好きなのですが、
会社の方針には従わざるを得ません。
なにが言いたいのか、というとですね。
人は忖度する、という考えのもと、日頃からコミュニケーションも意識しておくと良いですよ、ということです。
なんだかんだ、結果も去ることながら、人当たりは大切です。
信用の積み重ね、という言葉もあるように。
意地を張って泣くよりも。
日常の、ほんの些細な気遣いを考えてみると。
ちょっとだけ、見える世界が変わるかもしれませんよ。
なんて。
なにがし。