病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

良いブログってなんなのかな、という思考。

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最近、Webライターを目指す上で色々な情報を目にしています。
そこで出会った、些細な矛盾の話です。


「良いブログ」とは何か?ということについて。

そもそもブログは、私的なことを書いてもいいし、社会的に意義のあることを書いてもいい。昨日の晩御飯の紹介をしてもいいし、読者に考えさせる、社会に切り込むような記事を書くのも自由だ。

だから、「良いブログ」の定義は書く人と読者のそれぞれが個別に持っているもの、という認識はきっと大間違いではない。書きたいものを書いて、読みたい人が読めばいいのだ。

これはよくあるバンドマンの話と似ている。それなりに動員数が増えて、演者側とリスナーの感覚がずれていく感じ。より高度なテクニックを駆使した新しい楽曲に心血を注ぎたい演者と、変わらずキャッチーな音楽を求めるファンとの意地のぶつかり合い。

いわゆる、「書くこと」を題材にした情報の中にも、似たようなものがあった。

文章力があがり、洗練され研ぎ澄まされた文章は読みやすい。しかし同時に、それは心に引っかかりを生まない。
心に引っかからないということは、読んでも読まなくても同じ。だから価値なんてない。

こういうことになるのだという。私の文章は洗練された文章には遠く及ばない。しかしそんなことを言われたら何を目的としてブログを続ければ良いか分からないじゃないか。 素直に思った。 この感情こそが「心の引っかかり」 と考えれば、確かにこの情報は生きて私の心に届いた。引っかかりどころかえげつないほどの傷を付けた。

まぁ、いいさ。それでもいいや。

私はいまさら何かを取り繕うほど何かに秀でているわけでもない。世の中に恥ずかしげもなく、自分の思いをぶちまけているんだ。飲み会の帰り道にプロペ通りで吐き散らすのとなんら変わらない。最初はそれなりに衝撃的な事実だったけど、ナメック星人ばりの再生力を持つ私の心を舐めるな。

そんなことを思った、初春の頃。

私は今日も変わらず、元気にやってるよ。

なんて。

なにがし。