病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

絶望の正体を考える。

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絶望感はつらくて苦しいものです。

しかし、人間の機能として、なぜこんなものがあるのか?を考えると。

その苦しみの意味が分かり、これから自分がどうしていけばいいかが分かると思います。

今日は、そんなことを。

絶望の正体

絶望は、自分の現状を変えさせるための防衛機能だと私は思っています。

だから、怖がる必要はありません。

嫌なことがあって、苦しくて、泣きたくて。

そんなものを漠然と絶望感と捉えてしまうから、人は絶望を恐れる。

しかし、それでいいんです。

絶望は、怖いもの。

絶望は、苦しいもの。

そう感じるのが自然な考え方なんです。

絶望は防衛機能だと感じる理由

逆に考えてみましょう。

仮に嫌なことがあっても、苦しい気持ちを感じなかったらどうなるでしょうか。

それはそれで楽なのかもしれませんが、デメリットだって大きいはずです。

つらいのに、休めない。

苦しいのに、頑張れてしまう。

危険だと分かっていながら、飛び込んでしまう。

絶望感がなくては、人間は際限なく行動ができてしまいます。

だから、心身を守るために絶望という安全装置がある。

それが、「絶望を感じる意味と役割」だと私は思います。

絶望と向き合っていくためには

シンプルに、疲れたら休めばいいのです。

いやいやいや、それができたら苦労はしないよ。

そう思うかもしれません。

それなら、変えられるところを変えましょう。

休めないなら、あえて努力を重ねるという方法もありです。

もちろん、自分の限界もしっかりと考えながら、という条件つきですが。

絶望は、現状を変えたいという衝動なら。

その衝動にしたがって、できることをやりましょう。ひたすら考えましょう。

それこそが、他ならない自分の心が、自分自身に伝えたいメッセージなんです。

「自分の声に、自分の心を向けて」

生きていきましょう。

なにがし。