病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

心のもやもやを語る。

心のもやもやについて。
今日は語りたいと思います。

よく分からないんですよね、心の中は。

自分の思考、認知できる範囲を、
表層意識とか自我と言います。

その奥底に、認知できない無意識があります。

その辺りを、小難しく書くことはできるんですけど、
世の中の頭の良い人がすでに分かりやすく書いているので、私は書きません。勝てない相手とは戦いません。

なので。

なんかもっと、別の視点から噛み砕いていきたいと思っています。

この記事を読むと。
心のもやもやについて、理解が深まると思います。


心のもやもやの正体

これは前に書いたのでバッサリ割愛します。
良かったら読んでみて下さい。

www.nanigashimental.work

要は、いろんなストレスが心に渦巻いているのよ、ということです。感情も含めて。

で、無意識の部屋がストレスがいっぱいになると、自我の部屋にまでそのストレスが流れ込んできて。

なんだかよく分からないけど、スッキリしない。
そんな状態になります。 これがもやもやの正体です。


心には、容量がある

ここからは、今回のキモです。
心には容量があるんですね。

つまり、我慢できるストレスの容量も限られています。

名前をつけてみます。
この記事において、それをモヤっと許容量と呼ぶことにします。

人それぞれ、モヤっと許容量が決まっているんですね。

空腹に例えると分かりやすいかもしれません。
空腹=ストレスです。

食後、1時間。
大体の人はまだ空腹を感じないと思います。

食後、5時間。 朝7時に朝食を食べたら、ちょうどお昼です。
まぁ、普通にお腹が減ってる時間ですね。

食後、8時間。
朝7時に食べて、15時。
ギリ遅めの昼食の時間です。ただ、結構な空腹です。
私なら、少しイライラします。

食後、10時間。
朝7時にたべたら、夕方5時。
これはもうかなりの空腹だと思います。
仕事をしていたら、あまり手に付かないのではないでしょうか。
私は、ここまで食べられないのは大分苦痛です。
鞄の中にお菓子が入っていないか探してみたり、炭酸ジュースを飲んだり、空腹を満たす方法を模索します。

とまぁ、こんな感じで考えると。
食後8〜10時間の空腹で感じるストレスが、
私にとってのモヤっと許容量です。
それ以上は、ストレスを除去するための行動が始まります。

これが、あらゆるストレスにおいて。
心の中に起きている働きと捉えてみます。


モヤっと許容量を超えた時

モヤっと許容量を超えると。
人はそれを解消するために何かしらの行動にでます。

衝動買いをしてみたり。
やけ食いしたり、やけ酒したり。
泣いてみたり、叫んでみたり。

一見、悪いことのように見えますが、
これはまず、正しいと私は思います。
これをする事で、少しでもストレスが減るならば、それに越したことはありません。
※やけ酒は記憶に残ると言われるのでおススメしません。

まずは、ストレスをモヤっと許容量以下にすること。 これが大事です。
じゃないと、問題の解決を図るエネルギーが湧いてきません。
モヤっと許容量を下げることばかりに目がいってしまいますからね。
問題解決は、その後でいいんです。


モヤっと許容量を下げたら

ある程度、落ち着いたら。
そこから初めて、問題解決に動きましょう。

モヤっと許容量を下げることと、
問題解決への行動。
これらを、混同しないことが大事なんです。

心のもやもやが溜まりに溜まった時は、正常な判断が出来ない場合が多いです。
手当たり次第に、ごちゃごちゃと行動して。
結局それがまた良い結果にならなかったり。
それがまたストレスになったり。

そんなこんなで、メンタルはズタボロなんて話は想像に難くありません。

だからまずは。
自分のための行動をしましょう。
ただ、楽になるための行動をしましょう、ということです。

解決しなきゃいけない問題は確かにある。
でも、そのためにはエネルギーが必要なのです。と。
割り切ってしまいましょう。

それが、心のもやもやを払う、第一歩です。


おわりに

こう言った考え方はたくさんあって。
何が正解かはその人によりけりです。

なので。
とりあえずこんな考え方もあるよ、という感じで紹介させていただきました。

私は少なくとも、世間一般の人たちよりずっとずっと。
自分は弱く、臆病で頭の悪い人間だと思っています。

でもだからこそ。
きっとこういうことばかり考えるのだと思います。
所詮弱い人間の考えだとか、傷の舐め合いだとか。
そう思われても全然構わないと思えます。

たった一人の心で良いから、寄り添えればいい。

私が死んでも、この記事はネットの片隅にあって。
今はまだ生まれてもいない誰かにすら、届いてくれる可能性があるなら。
それはそれで贅沢すぎるなぁと思えるのです。

なんて。
書いてみたり。

なにがし。