近所のとある駐車場に。
なぜかいつも、高級車が停まっている。
それも一台ではなく、四台も五台も。
契約駐車場ではない、ただのお店の駐車場。
だけど、だいたいいつもある。
私はよく、その真ん前に駐車し、その車たちを眺めている。
そうだ。
率直に言って、羨ましいからだ。
一人のオーナーさんなのか、
複数のオーナーさんなのかは分からない。
でも、いや間違いなく。
お金持ちだ。
はっきり言って。
私も、お金持ちになりたい。
ちょっと、生活に余裕のあるぐらいとか、全く思わない。
もう、有り余って置き場所がないくらい、お金が欲しい。
だからその車たちを見て、私も頑張ろう、と思う。
心は。
五感で感じたもので、当たり前に動く。
大きな音で、びっくりしたり。
好きなものの匂いで、癒されたり。
皮膚に触れた体温で、安心したり。
目で見たもので、感動したり。恐れたり。
ただより高い物はない、と言ったりもするが、
別に世の中それだけではなく、心を動かすものがある。
こう言うものを、大切にするべきだと私は思う。
先に挙げた高級車の例は、我ながらそこそこにゲスいものだったと自覚してはいる。後悔はしていない。
けれど、そう言うことだ。
心は勝手に動くものではあるし、感性とか人格とかで色々違う。
ただ、心の動きが鈍ると言う状態は確かにある。
私が表題に掲げている病んでるとか、うつ状態とかが代表格のそれだ。
精神的、肉体的疲労や環境、その他諸々の影響で
なんかどうでもいい感じになる。
私はあなたの味方ですよ、みたいな言葉も
圧倒的不快感にまみれた世界から発せられた呪いの言葉のように聞こえる。
他人がそう言う状態にあることは別に否定はしないけれど、
自分自身がその感覚に包まれることが、個人的にはすごく嫌いで。
いつもなんとかしようと心がけている。
矛盾しているようだけれど 心の赴くままに生きることしかできないのが、嫌なんだ。
思考とは別物の、純然たる自分の核みたいなものは、未熟で幼稚だから。
それに支配されるのは悔しいと感じる。
だから、こうして高級車を見て無理やりに心を動かしたりする。
自分の思いを心に支配されずに、
そして心とともに歩んでいくために。
表層意識である自分の思考そのものに、少しでも矛盾なく心が従ってくれるように。
なにがし。