病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

世の中はそんなにカッチリしていない話。

小中高、とおよそ普通に生きて。

そのまま就職して。 最近強く感じたんです。

当たり前は、当たり前ではない。

この記事には。
社会に対しての私なりの考え方。
融通が利かない、真面目と言われる人に伝えたいこと。
が書いています。


私が社会人として育った場所

私が社会人の素養を学んだ会社は。
そこそこ、1+1=2の世界でした。
いわゆる、大手企業で。
業界ではホワイト企業と言われています。 大きい会社なので、部署によりけりではありますけれど。

決め事を守り。
その通りに仕事をし。
当たり前の結果を出す。

それが、普通でした。

  • ルールは守って当たり前。
  • 何かあったら即作業中断。即上司に打ち上げ。
  • 残業も申請が通らないと基本できないしほぼ無い。
  • 約束事は全て書面で取り交す。
  • 安全第一。妥協なし。

お役所仕事のごとく、日々を過ごしました。
なので。
私の社会人としての根底には。

当たり前が当たり前である。
そういう考えがあり、そしてそういった考えの人が多くいる環境でした。


現実は違う

色々あってその会社を辞め(あくまでも円満退社)、
私は社会に飛び出しました。

そこで見たものは。

当たり前なんぞクソ喰らえ

そういう社会でした。

もちろん、ちゃんとしているところもあります。
でも。 わりかし、そうでもない。

私はカルチャーショックを体験しました。
それほどまでに。 違う。

ルールなんて無用に近い。バレなきゃOK。

ゴネれば得をする。

権力者、というものが思ったよりも多くの自由を許されている。

日本の社会はしっかりしている、なんて外国の人が語りますが、私の境遇上、そんなことは感じません。ぶっちゃけ。

池袋の自動車事故も。さもありなん。


社会をどう捉えているか

ここからが大事です。

私から見たこの社会は。

とっても複雑です。

ルール無用、とあれば。
なんだか思ったより楽に感じるんじゃないの?と、
そう思われるかもしれません。

でも。私のような人間には、とても複雑です。

私が社会人として、いわゆる温室育ちで。
かつ真面目と言われる人間性を持っているから。

私の勤めていた会社では。 誰かが決めたルールがあって。
その通りに動くだけ。至極単純です。
そこに自分で考えたもの如きは、付け入る隙がありません。

言われた通りに、動き。
言われた通りに、選び。
言われた通りに、仕事をする。

業界では利益もろもろを考えると現状この方式が最高とされています。
だから会社としてそれを突き詰め、社員を教育していきます。

なので。

厳しく言ってみれば。

自分で考え、何かを成す能力が育っていない。

更に。
会社よりもずっと広いフィールドである社会においてでは尚更、力不足であるわけです。

もちろん。会社のせいにするわけではありません。
私個人の努力不足、そして見識の狭さによるものです。

しかしながら。

この社会特有の雰囲気。

中々、私は簡単には染まれそうもありません。


サボれる環境が人を育てる

この言葉を最近聞いたことがある人、いらっしゃるかなぁと思います。

感動に感動を重ねた、今年の甲子園、その優勝校。
履正社高校の岡田監督の言葉です。

履正社高校では、練習時間のメニューは全体練習を除いて、
選手自身が考えるそうです。

なので。
軽めに練習するのも、必死に練習するのも。
選手の自由。 サボりも自由。

しかし、だからこそ。

選手の自主性、野球に向き合う気持ちが試されるのです。


ここから社会とどう向き合うか

社会も、同じだと思うんです。
必死になるのも、ズルして楽をするのも、実は割と自由。
この自由に対して、個人としてどう向き合うかが大事なんです。

私を含めて病んでる人はだいたい、そのバランスが良くないのです。

何事も白黒はっきりさせたかったり。
決められたことはギチギチに守ったり。
妥協できなかったり。

こういう特徴があると、真面目過ぎるとか、融通が利かないとか悪く言われます。

これこそ実際、社会人の多くが実はルーズに生きている証拠です。

実際、ちょっとくらいならルールは破ってもいいじゃん。誰も見てないし。

なんて。そう考える人は多い。

車のスピード違反と同じです。
夜中の人気のない道を、
40kmで走る人はあまり多くはないでしょう。
かと言って、120kmで走るかと言われると

そうではないですね。


社会と向き合う、ということ

社会には色々とグレーなものがあります。

暗黙の了解
社会的風潮
常識的に考えて

などなど。
誰も見ていないからと言って。
スピード違反はするかもしれません。
でも、150kmまでは出さないでしょう。

見てないからといって万引きや窃盗をする人もそこまで多くありませんよね。

そこにつまり。
個人の責任感や、裁量、常識的な範囲といった分かれ目があるからです。

なにが言いたいかというと。

自分の中で最低限のルールを決める必要があるということです。
ここまでは良い。ここからはダメ。

決められたルールではなく、あくまで自分自身で。

それが社会と向き合うということに繋がってくる私なりの一つの答えです。

多くの人にとってこれは当たり前かもしれません。
無意識にやっていることではあると思います。

ですが。
病んでるとこの辺りが酷く曖昧になるんです。
決められたルールを守るだけだと、わけがわからなくなるんです。

だから自分で決めていいということです。
だって。みんなそうしているはずだから。
それは決して悪いことではないのです。


おわりに

あ。
色々書きましたけども、犯罪は良くありませんよ。
自分でルールを決めることは大事ですが、だからといって罪を犯してもいいわけではないです。もちろん。

あくまでも、心の為に。
緩やかに出来ることは、そうしようぜって事ですね。

そんな感じです。

なにがし。