世の中には数値にならないセンスと、
他を寄せ付けない努力をする人たちがいる。
私は残念ながら今のところそんな人間ではないけれど、
そういう人たちを何人か見てきた。
その中で、一番ヤバいと思った天才の条件を今日は紹介したいと思います。
天才はいる
スポーツにしろ、勉強にしろ。
理解力、体の使い方、努力の量などが一般とかけ離れている人がいる。
いわゆる天賦の才というやつだ。
そういう人は努力もするが、その結果たどり着く領域が他の人とは違う。
どんなスポーツでも。 みんながみんな努力するわけで、上位選手は大体どんぐりの背比べになる。
けれどもその背比べを軽々と飛び越える逸材が時々現れる。
そういう存在。
もちろん努力も相まった結果なのは言うまでも無いけれど、その努力を積み重ねている人たちの頭上を軽く越えるならばもう単純な差では無いと思う。
ズバ抜けた努力量か、
ズバ抜けた方法か、
その人が持っているそれ以外の何かか。
もしくはそれらの複数か。
そんなところだと思う。
そういう人を羨望の気持ちを込めて、 きっと天才と呼ぶのだと思う。
本当にヤバい天才の条件
それはひらめきだ。
ふと、思いつく。
誰もみたことのないヤバいものを。
エジソンの名言。
99%の努力と1%のひらめきの通り。
天才と呼ばれ、人に羨ましいと思われる存在に絶対に欠かせない条件がひらめきだと私は思う。
そして、更に。
無から有をひらめくのではなく、
有から有をひらめく存在が一番ヤバい。
要は、吸収するのだ。
周りの物事を。
そしてそこから新しいものを生み出す。
事前情報の無い状態から何かを生み出す存在もヤバい。
でもそれよりずっとずっとヤバいのが情報と情報を組み合わせてどこまでも進化する存在。
これはもう手がつけられない。
真にヤバいのはあらゆるものを吸収して進化し続ける天才だ。
おわりに
結局のところ、天才とは単なる努力家がほとんどだ。
その存在に追いつくことが出来ないその他大勢が、
自分は努力した。
それでも追いつけないあいつは、きっと神さま的な奴から祝福を受けたに違いない。
なんて言う感じで天才という言葉を使ったりする。
なので私は、たくさん使ったけれどあんまり天才という言葉は好きではない。
つまるところ。
何事も努力次第。
そして食うか食われるか。
世の中ってそんなものかなって思います。