私は思うのです。
「理由」というものは、ものすごい武器であると。
たとえば、
「頑張れない」という気持ちの原因の多くは、
「頑張るに値する理由がない」もしくは「足りない」からと言っていいでしょう。
人は、どうしたって「楽をしたいもの」です。
頑張らなくても済むなら、頑張りたくない。
ぱっと見で楽な方法があるなら、そちらを選びたい。
そういう「理由」が「頑張ろう」と思う気持ちをつぶすのです。
誰かを傷つけることも、同じ。
人を傷つけてはならない、という思考を、「理由」が超えていくから起こる。
こうやって書くと、そんなの当たり前じゃないか、と思われるかもしれません。
しかし、ことのほか。
「理由」に目を向けることなく嘆く人は、それなりにいます。
努力できないのは自分のせい。 誰かを傷つけてしまったのは自分のせい。
どうしても、表面的な事実は目につくものです。
気になってしまうのも仕方がないでしょう。
しかし、少しだけ「理由」も考えてみましょう。
「理由」は、必ずあるのですから。
時には、自分の心の中にある「理由」にスポットライトを当ててみてはいかがでしょうか。
なにがし。