行動するか、しないか。
行動したか、しなかったか。
世の中はシンプルで、
こんなことばかり最近考えるのです。
もちろん。
事情というのは色々とあるんですけれども。
社会にとって、個人の事情なんてものはあまり重要視されることはなくて、
結果的にどうなったかが大事なことが圧倒的に多いです。
その中で。
鎬を削るのが、人。
なのかもしれません。
人の一生って、
もちろんその人にとっての全てで、
周囲の人にとっても非常に大きいものなんですが、
その他大勢にとっては、
よくわからないものでもあります。
例えば、
私の好きな甲子園(高校野球)の話をします。
スポットが当たった子がいるのとは別に、
もっともっと大勢の「スポットライトが当たらなかった子」たちがいます。
もちろん、
高校球児の全てが死に物狂いで甲子園を目指すわけじゃないのですが、
はちゃめちゃに努力しまくって、
勝つか負けるかのギリギリを戦い、負けた子も当然いるわけです。
プロになることもなく、
普通の社会人として生きていく子もいるでしょう。
そうなれば。
きっと一生関わることもないし、互いに存在も知らぬまま人生を終えるのです。
ぶっちゃけ、
遠い異国にいる人となんら変わらないレベルです。
もしその子が甲子園に出場したなら、
誰かがそのプレーを見て、元気づけられるかもしれない。
感動するかもしれない。
甲子園に憧れを抱いたかもしれないのです。
それだけ、
紙一重と言いますか。
結果を出す、出さないっていうことはまるで違うわけなんですよね。
何が言いたいかというと。
そういう。
山ほどの「紙一重」の中で私たちは生きているってことです。
極端な話、
たった1分、1秒の違いで出会わなかった人もたくさんいるのです。
私たちは、
目の前にある膨大な量の紙一重の中から、
ほんの少しの偶然で出会ったのだとしたら。
今目の前にある、「周囲の人」ってこう。
すごい確率で出会ってるんじゃないかな、なんて。
思うわけです。
それもまたどこかにフッと消えてしまうんですが。
そんな儚さをものすごく感じる、今日この頃です。
なんて。