人間、必死になる状況でないと必死にならない。
私はこれが普通だと思っています。
凡人ですからね。
必死じゃなくとも、大体の人が必死でやらなければ辿り着けない結果を叩き出せるのが、
天才とか、秀才とか非凡とか言われる人だと思っています。
必死にならなければならない状態で必死になるのが普通で、
そうなっても必死にならない人はもうなんかすごい人なのでしょう。
はい。
今日はそんなことを書きたいと思います。
世の中って、競争競争しているんですよ。
結局人間も動物と一緒で、
言語は操るけれども実力主義な世界観であることは言うまでもありません。
みんなみんな、
限りある時間とか、
限りある資産とか。
そういうものをやりくりして生きている訳ですから。
自分が仮に、余命1ヶ月です!と言われた場合を考えればわかりますよね。
明確な命の期限(それ以上生きるんだ云々は置いといて)があるのなら、
無駄なことに時間を費やすことはほぼないと思います。
そうなった時、
全てはその人の価値観の競争になるんですよ。
優先順位のもとで、
全ての決定が行われるんですよ。
ある程度の人はすでにそういう世界観で世の中を見ていると思うんです。
自分の時間が多くない。
ならば、なにをすべきか、なにを選ぶべきか。
そういうことを考えた上で意思決定をするんです。
ならば、ならばですよ。
言い換えれば、
選ばれない人が存在するわけです。
そうなると、つまりどういうことか。
頑張らないと、人には選ばれないということです。
いやもちろんですね。
いろんな考えはあると思うので、必ずしもこの考え方が普通だと私は思っていませんよ。
しかし、私はこう考える、ということです。
必死にならなくては、人生ってやつは何かに影響されまくるんですよ。
これは交渉ごとを考えればすぐわかるはずです。
こちらの持っているカードがあるかないか、という話なんです。
ものすごく残酷な話かもしれませんが。
人の価値は確かに見えない形で存在するし、
人は価値を持って物事を判断する。
その事実は変わらないと私は考えています。
価値というカードがなければ、他人は簡単に足元を見ます。
もっと言えば、交渉の席につくことすらないかもしれません。
そんなもんですよ。
だから努力しましょうや、ってことですね。
他の誰かのために生きるわけじゃない。
私たちが、私たちであるために、自身の価値を高めていかなくてはならないと私は思います。
なんて。