病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

あまり学校で経験できない、そこそこ大事なことを語る。

最近気付いた、

そこそこ大事なのにあまり学校で経験できないことを語ってみようと思います。

ちなみに。

たくさんある中で最近私が特に感じたものをピックアップしました。

勉強そのものはそんなに社会で役に立たない

全部が全部ではないけれど、まずもって使わない知識もあります。

学校の勉強は何かを学ぶ、習得するという基本的な技能を伸ばすために行われている側面が大きいと個人的には思う。

社会で使う技能はそんなに学べない

社会に出て使うであろう経験や知識についてはそこまでカバーもされていないとも思う。

コミュニケーションとか、生き方とか。
お金のこととか。
ビジネスや社会に関わる基本的な技能の習得にもっと時間を割いても良いのではないのか? と感じる。

団体行動とか、悪い事をして罰を受けるといった面が個人的には社会で必要なプロセスで。
その点については文句はないけれど。

実際、生きる上で大事な知識は大人になってから知ったものが多いし、きっとまだまだ知らないこともある。

まぁもっとも高校や中学でそんなことを学んでも覚えないのかもしれないし、最近ではネットによる情報収集も効率的にできるし。
それならそれで良いのかも、と思うけれど。

せめて社会に出る時点で知っておくべきことガイドブック的なものがあれば嬉しかった気もする。

社会に出る前に経験すべきこと

ぶっちゃけいっぱいあるけれど。

最近私が強く思ったのは、決断をするという経験だ。

親が進路を決める。
先生と相談して決める。

それ自体はまぁ仕方ない。

高校までは基本的に親の庇護下にあるということと、
人生の先輩である先生とのやりとりであることが理由。

しかし、それ以外は少なくとも。
私はほとんど決断という経験をしてこなかった。

これは私の社会に対する見立ての甘さが招いたと言われればそうでしかない。

なので、何も学校で教えるべき!なんて主張はするつもりはないのです。

小学生からやっていた部活を高校までなんとなく続け、
部活も勉強の成績も、平凡。
クラスでは目立つこともなくいじめられることもなく。

家には上の兄弟がいて。
バイトをする事もなく。 家庭も貧乏よりの為高卒で社会に出るという決断をなんとなく選んだ。

私がちゃんと自分自身の先のことを考えなかった。

その責任を何かに転嫁するつもりはない。

だからこそ。

今になって決断力の経験の浅さが、悔しい。
そう感じるのです。

社会人になると、決断しなければならない状況は否が応でもドシドシやってくる。

なので。今回この想いを伝えたいと感じました。

過去は変わらない

仮に誰かが、高校や中学時代の私に。

決断することって大事だよ。今から練習しときなさい。

と言っても結果は多分、変わらない。

何だかんだ決断もきっと、大なり小なり経験している。

でも、それが身に付いていなかった。

今だからこそ私は「これが大事なんだ」と感じた。
気付けた。それだけだ。

過去は変わらないし、何を論じても可能性やたらればでしかない。

こんなこと書いといて何だけれど。

結局、気付いた段階からどう行動するか?
が大事なのかなと思います。

おわりに

私のように可もなく不可もなく平凡に生きてきた人間より。
高校時代、中学時代荒れに荒れて停学や退学を経験した人ってなんだかんだ幸せに過ごしていたりする。
子どもが居て、年収もまぁまぁ。

荒れた分、色んな困難に直面して。
その中で決断して、人を引っ張ったという経験は社会でよっぽど活きるんだなぁと感じる。

決断も、経験そのものも。
他にもたくさん、たくさん。 生きる上でとても大事なことがある。

でもその大事さに気付くのは、いつか分からない。

そんな中で何の大事さに気付き、
何を大切に生きていくか。

出会いや別れも含めて、偶然の中で少しずつ培っていくのが人間なのかも知れませんね。

なにがし。