無力な自分を嘆くことは、きっと恥ずかしいことではなくて。
明日を今日よりちょっとだけ強く生きるための儀式なのだと思ったりします。
無力だと思った時点で、きっと明日も無力です。
なぜなら人は積み重ねなくてはならないから。
勇気を出して状況を打開する方法ももちろんあるけれど。
瞬間の勇気だけでなんとかなるほど、世の中は甘くできてはいません。
不断の努力がモノを言う場合は、とても多いのです。
だから。
簡単なんだ。
理屈じゃなくただ単純に、無力を噛み締めながら努力を積み重ねればいいだけなんです。
己の無力を知った瞬間こそが、出発点。
考えているだけで何もしない時間は、ただただマイナスとなって過ぎ去っていくだけなのです。
私たちは、年齢を重ねるごとに優劣が決まっていきます。
椅子取りゲームのごとく、選べることは少なくなり、衰え追い越され、追い詰められる。
もちろん、何が優なのか、劣なのかは人の感性によるところが大きいけれど。
気付いた人は抜け出し。
気付かなかった人は吹き溜まりのような場所でもがき、苦しむのです。
そこに幸せを見出すのも自由。
そこからはい出そうともがくのも自由。
何もせずに嘆き苦しみ続けるのも、自由です。
残酷な物言いかもしれません。
しかし。
多分。
こんな現実を、ある程度の年齢になって実感する人は少なくはないと思います。
私もその一人です。
いつ気付くか。
そこからどれだけやるか。やれるか。
それだけ。
なにがし。