病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

苦労をするのは当たり前という言葉の圧力。

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飛び出すか、飛び出さないのか。
私は今人生の岐路に立つ。

いや、私だけじゃない。

生きている人みんな、常に岐路の真ん前にいると私は思います。

仕事や人間関係なんでも、なんでも。

迷い、苦悩、葛藤。
たくさんの思いの中で、苦しんだり楽しんだりしながら生きていると思います。
実はいくらでも選べるものはあるけれど、選ばないという葛藤の中にいるはずです。

私の周りにはよく。

「人生、上手くいかなくて当たり前、苦労して当たり前だ」
と言う人がいるのですが。

私もその思いに納得する反面、だからと言ってその苦労をそのままに、愚痴にまみれて生きることまでは当たり前だとは思いません。

嫌なら頑張るしかない。
抜け出したいなら努力するしかない。

努力したからと言って必ず抜け出せるわけではありませんが、努力しなければそもそも勝ち目は薄いしその権利はないんです。

私はシンプルに、強く生きたい。

そしてそのための武器が欲しい。

なんて。
そんなことを思います。

常時根暗な私に声をかけてくる人はこう言います。

「なんか嫌なことあった?でも人生そんなものだから」
「いいことなんて無くて当たり前。今は我慢」
「苦労するのは当然だから」

悪気はないのは分かっています。
苦労するのは当然なのも理解はできます。
でも。

どこかこう。
諦めろ、という気持ちと。
黙って我慢してろ、という圧をものすごく感じる。

そこから抜け出した人、結果を残した人の言葉なら納得します。

しかし、つまらないと毎日繰り返すような人からのその言葉は。
「お前も一緒に苦しもうぜ。一抜けはダメな」

という意味に聞こえてきてしまうんです。

私は、嫌だ。そんなのは嫌。
ただでさえ希望のない人生で、自ら自分の首や足に縄をくくるような生き方はしたくない。

くそう。
悔しいなぁ。

あぁ。

なにがし。