病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

努力の価値の違いを考える。

努力は。

人生を良い方向に向けるために必要だと私は思います。

でも。

簡単に、ただ単純に。

努力をすれば何とかなるみたいな事は言いたくないなぁとも思います。

というのも。

努力の形は人によって様々で。

その価値も何もかも、一緒くたに語る事は出来ないと思っているからです。

今日はそんな努力について。

努力の価値はどこにあるのか?

その答えは、

自分自身と社会。

そんな感じで書いていこうと思います。

努力の形、評価の形

社会において有効なのは、努力の証明です。

大きなところから言えば。

学歴、資格など。

これらは、その分野の必要な知識を学んだという証明書です。

社会はそれを評価して。

たとえば会社ならばその人を知る手がかりとし、採用の合否を選択します。

毎日10時間英語の勉強をしていますと言ってもおそらく評価はされません。

TOEICのスコアが900点ですと言えばそれなりの高い評価に誰の文句もつかないでしょう。

公的な結果の伴わない努力は無意味になることは、社会では結構当たり前です。

そして小さなところで言えば。

たとえば会社の成績やコミュニケーション、人格、趣味における好成績など。

その会社や身の回りの人限定の評価が挙げられます。

学歴や資格がなくても、特定の分野の努力をしているなと感じる人が周りにいてくれるのなら、

ある程度の評価はつきます。

与えられた仕事をきっちりこなし、周りからの信頼も厚い。

そんな人ならば、それを努力の証明としてくれる場合も多いでしょう。

ただし。よほど高い能力を発揮していなければそのコミュニティ限定になるケースもあります。

例えば。

趣味のスポーツで好成績を残していても、会社での成績が悪ければ。

大会に出れば周りの人からは尊敬の眼差しを集めるのでしょうけれど、仕事においては当たり前に何の評価もされません。

このように。

社会において有効である努力の証明はそんなに多くありません。

社会というとざっくりですが。

自分が求める場所での評価を得る方法はそんなに多く無いんです。

スポーツならば成績。会社ならば仕事の出来、学歴、資格など。

結果も含めた努力の末に目指すものは、こんなものかなと思います。

逆を言えば、そういう結果を伴わない努力は自己満足でしかありません。

自己満足も人生においてとても大事なものだと思うので否定はしません。

ただ、自分のしている努力が何のためのものなのか?という事は明確にしておくと良いのかなぁと思います。

努力の価値は人によって違う

例えば。

体重100kgの人が5kg体重を落とす。

極限まで体重を絞っている45kgの人が5kg体重を落とす。

毎日12時間働いている人が司法試験に合格する。

仕事も何もしていない人が司法試験に合格する。

日本人が古文のテストで100点を取る。

日本語の話せないエジプト人が古文のテストで100点を取る。

などなど。

同じ結果に至るとしてもその難易度は人によって違います。

努力しなさいというのは簡単ですが、何でも一緒くたには語れないと書いた意味はここにあります。

マラソンで言えば、

人によってスタートラインが違う。

さらに人によって舗装したコンクリートの上を走る人もいれば、険しいジャングルの中を裸足で走るような人もいる。

でも。

皆さんゴールは同じです、ハイ、よーいどん! 走れ!

みたいな状態です。

人それぞれ。

ただ走ることができるわけではありません。

人によっては、コンパスの使い方から学ぶ人もいます。

人によっては、走り出す前に靴を探さなくてはならない人もいるでしょう。

何であれ。

ゴールの場所は同じでも、各自やらなきゃいけない事は違ったりします。

通った道のりで、ゴールの価値も人それぞれです。

それぞれの価値と、社会から見た価値

しかしながら。

社会は良くも悪くも無慈悲です。

誰がどんな道を走ってきたかは関係なく。

ゴールした順に、淡々と合否が決まります。

ただ、それだけです。

人生、努力するしかない。

そう断ずる人は多くいます。

それがシンプルに当たり前でもあるからです。

道中が険しかろうが、足がボロボロで走ってこようが関係ありません。

ゴールにたどり着いたか?

何着だったか?

結果はそれだけ。

認められるか、認められないのか。

是か、否か。

それだけです。

人それぞれ、各個人と。

社会全体から見た個人の努力の価値観の違い。

それもまた、しっかりと認識しておければいいのかなぁと私は思います。

おわりに

自分の口座に1億円入っていたとしても、手持ちが10円ならばコンビニで缶コーヒーは買えません。

努力といえど。

自分が何を持って、何に向かって努力しているかは非常に大事です。

www.nanigashimental.work

人生、その中で努力は必要です

しかしながら。

誰が評価するのか、誰に評価してもらいたいのか。

自己満足の為のものか、何の為に努力をするのか。

努力の価値を誰にどのように見出すのか。

自分自身と、社会と。

両方を見据えた努力が実った時。きっと人生を行く為の大きな力になると私は思います。

なにがし。