病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

期待しない生き方を語る。

私は、人生に期待していない。

昔から苦労の星の下に生まれたと称され、生きてきた。

そんな生き方を少し紹介したいと思います。
読んで少しでも、何か感じて頂けたら、幸いです。

〇〇の星の下に生まれるということ

仕事に行けば機械は突然壊れ、
十年に一度くらいで起きる事件は私のいるところで起きる。

そうじゃないこともたくさんあったことは承知だけれど、
私はそういう存在なのだと思い知らされる、思い込むにはまぁ十分な苦労体験をしていると思う。

もちろん。

私以上に苦労し、壮絶な人生を送っている人はたくさんいる。
〇〇の星の下に生まれるという表現が宗教的なものなのか何なのかは分からないけれど。
(因果と捉えれば仏教)

とっつきやすい表現なのであえて使うとするならば、

親から虐待を受けたとか、凄惨な事件に巻き込まれたとかは不幸の星の下だろう。

だから別に不幸自慢をする気は微塵もないし、そもそも誰かと悲しみや苦労を比較することは私は好まない。

私はあくまで苦労の星の下だ、という感覚で生きている。
おそらく不幸の星とは3光年くらいの距離にある。

ちょっと面倒。
ちょっとタイミングが悪い。間が悪い。
命に別状はないけれど腕や脚を失う。
そんな感じ。

そんなこんなで生きていると。

泣きっ面で蜂に刺され、アナフィラキシーショックを起こし、救急車で運ばれる途中で事故にあうような経験もなんのその。
ビクともしない自信がある。
むしろそれぐらいは当たり前の領域。

そういう態度が現れているのか、
「身近な人が死んだとしても、あなたは悲しまないんだろうね」とまで周りから言われる始末。

自分に関するそういった感情、感覚がちょっと麻痺しているのかもしれない。
他人のことになると人並みに悲しむのに。

期待しないと楽

最近は結構こういうことが言われている。

そう、気持ち的にとても楽。

物事、うまくいかなくて当たり前。

そんな心の持ちようは気楽に生きることができる。
人によってはそれを逃げとも言うけれど、別に最初から何もかも諦めているわけではなくて。

どちらにウェイトを置いているか、ぐらいの話だ。
もちろん物事上手く進んでくれる方がありがたい。
でも。
そうではないだろうな、とも思っている。
上手くいかなかった時に、スッとそちらに心を寄せるだけ。

それをするだけで、心の負荷はグッと減る。

すがりついて泣きついて声を荒げて、
傷ついて心を切り刻んで生きる。 そういう生き方も人間らしくて大好きだけど。

でも向き不向きがあるので。

諦めは損でもある

世の中はそんなにかっちりしていない。

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なので。

ごねると得をする場合は実は多い。

誰しもがネットという懐刀を携えているし、
昨今の犯罪事情もさることながら。

大きな声を上げる人と戦うのは得策じゃない。

だから相手は折れる。
よく言えば柔軟な対応をしてくれる。

なので。

ちょっとしたことでも諦めるとそこで終わる。
それで損をしたなぁという経験が結構ある。

例えば、飲食店におけるラストオーダー。
1分でも過ぎて店から断られた場合は
期待しない派の人間はすんなり諦める。

しかし、実は食い下がると渋々OKしてくれる店も少なくはない。

そしてそういうやり取りが、実は店としては嬉しかったりもするらしい。
もちろん迷惑だと感じる店が大半だとは思う。

しかし、最後だからと余った食材をサービスをしてくれたりといった経験もあったりする。

もちろん、迷惑だと感じる店が大半ではあると思うので推奨はしない。

そういう行動の先にしかない未来もあるということだ。

食い下がるというより、おねがい上手だ。

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そういう人には人が寄ってくる。
いつのまにかラストオーダーで揉めた店の店長さんと顔馴染みになっていたりする。

諦める人間には、人も距離をとりがちになる。

そういうところが、実は結構損なんだ。

諦めや期待しない生き方は、心が楽な代わりにちょっと寂しかったりもする。

おわりに

生き方は人の数だけある。

そしてきっと年齢を重ねていくうちに、自分の生き方が見えてくる。

どれだけたくさんの生き方があっても、きっと自分に合った生き方は多くない。

数少ないそれを見出すこともまた。

人生の大きなテーマなのかもしれないと思う。

なにがし。