私は、黙ってても大人になるにつれて人は成長していくものだと思っていました。
しかし現実は違いました。
今日はそんなことを書きます。
結論はひとつ。
ありきたりな日常の中にいるうちに、努力を重ねるべきだということです。
努力なき人生は苦しむ
たまにこんな言葉を目にします。
「仕事に行って、家に帰っての繰り返しの生活で退屈」
私もそんな生活をしていた時期は確かにありましたし、これは多くの人が言うところの普通なのかもしれません。
そんな生活を経て、その普通を失って。
私は気づきました。
「なんてもったいないことをしたんだ」と。
退屈な生活はものすごい価値がある
退屈な生活。 当たり前の生活。
退屈だと感じられると言うことは、日常に不都合がないということです。
もちろん仕事でミスをしたとか、友人とケンカしてしまったとかそういうものは多少あるとしても、おおよそは不自由なく暮らしているわけです。
入院生活などを経験した人はわかると思いますが、これはものすごい貴重と言えるんですよね。はたから見れば。
ただ、そこに気付くことはかなり難しいのです。
脳との戦い
脳は、楽をしたいものです。
何もないことが好きなんですよね。困ったことに。
だから。
たとえばそういう、退屈な生活の中で。
やったこともない筋トレやダイエット、新たな習慣化をしようとすると「やんなくてもいいんじゃない?疲れるやん」と囁いてくるわけです。
客観的に見れば。 退屈だからこそ、重いテーマと向き合っていないからこそ、そのうちに努力するべきなのに。
なかなかそうはさせてくれないのです。
緊急時に、動き出す脳
やるべき時にならないと、脳は動こうとしません。
普段は楽しようぜ、と言ってくるくせに、
緊急時には「何やってんの?日頃からやっとけよ」とか言ってくる理不尽な上司のように。
もちろんこれは、誰しもそうだと言うつもりはありません。
世の中には、努力ができるという才能を持った人もいるわけですし。
ちゃんと未来を見据えて行動できる人もいますしね。
そうなったらなったで頑張ればいい。
という考えもできますが、私はいま、それをお勧めはできません。
突然ふりかかる不幸は予測できないにしても、ある程度の目標は常に掲げておかなくては。
あとでめっちゃしんどい。超しんどい。
環境、状況と呼ばれるやつらは、気を遣ってはくれません。
そう思います。
まとめ
軽く書きましたが私はもう、笑えない状況にすらなっています。
できる時に払わなかったツケを、一番苦しい時に払わなくてはいけなくなる前に行動しましょう。
想定を超える”最悪”は、簡単にやってきます。気付いた時には遅いのです。
私はもう、ダメかもしれないけれど。
いつかどこかで、誰かがこれを読んで。
その人の何かが、1ミクロンでも変化してもらえればいいな。
なんて思います。
世の中の、知っていることは。
簡単にひっくり返るし、見たこともない側面も隠れている。
なんて。
なにがし。