今日は、少し難しいお話。
心を病んだ人に対して、私たちが接するとき。
どうしても、こう。
迷うことがあるんですよね。
それは。
いろんな人と接したからわかる、残酷な現実を伝えるかどうかの部分です。
ありのままに生きる、なんて。
表面だけ聞いたら恐ろしい言葉が流行りました。
でも。
ありのままに生きるって言うのは、
「なんの努力もしなくていい」とイコールではありません。
人は、どうしたって。
ある程度の順応や、割り切りが必要で。
その時の自分そのままに自由に振る舞えることなんて、
そうそうないのです。
でも。
心を病んだ人は、どうしても。
「そうありたい」と思いがち。
自分の中では、それがかなわないのだと知りながら、
それでも、求めてしまうのです。
そういうときに。
私たち聴き手はどう捉えるか。そこが難しいのです。
結局はどうあれ。
なるほど、この人はこう考えているんだな、と。
そう捉えるしかないのですが。
心のどこかにざらりと引っかかる部分がある。
その気持ちをどうするか、が聴き手の課題となるわけです。
誰もが、ありのままに生きることはできません。
できたらいいのにといつも思いますが、
相互に関わり合う以上、それはとても難しい。
だから。
自分の在り方を考えていかなくてはならないのです。
他者との関わりの中に何を見出すのかを考えていかなくてはならないのです。
ありのまま、自由に生きたいのなら、何をすれば良いのかを考えて行動し、
そのための権利を掴み取らなくてはならないのです。
なんて。