誰かに言われた言葉も。
誰かにもらったものも。
自分で見つけた面白いことも。
言葉も事象も何でも、世の中に放たれた時点で。
あとは受け取る側がどう受け取るか、という話になると私は思います。
水面で起きた波紋と同じで。
意図は何であれ、放たれたものは取り消すことも、誰かが消し去ることも出来ません。
先日。
会社の別の部署の上司が、私のことを褒めてくれていたという話を聞きました。
特に面識もない人で。
中途入社の身の上なので、がむしゃらに名前を売ったことが功を奏したのか。
はたまた別の理由か、本当の理由は分かりません。
リップサービスかもしれないし、何の意図もなく社交辞令で言ったのかもしれない。
でも、私は素直に嬉しいと思いました。
これが。
私なりの、貰えるものは貰っとけ精神。
褒められたら嬉しい人はもちろん多いとは思うのですが。
叱られようが、陰口だろうが、何だろうが一緒です。
口から出た言葉は、もう誰の所有物でも無い。
それを受け止める側がどう受け止めるか、それだけを待つ存在だということを私は考えます。
病んでくると。
外部の情報全てを、マイナス方向に転換するエフェクター(変換器)が心に構築されるような気がするんです。
貶されるのはもちろんですが、何の意図もない言葉も、褒め言葉も。
不意に出ただれかの一言も、仕草ですら。
呪いの言葉のように聞こえてしまう、親の仇がやったことのように思えてしまう。
世の中は、何も変わってはいないのに。
皮膚一枚隔てた自分の心の内にはドス黒いモヤのかかったようなものばかりが、溜まっていきます。
受け取る側は、どう情報を処理してもいいんです。
私はそう思った、こう感じた。
そう言えばそれまでなのだから。
だったら。どうせなら。
自分の都合の良い様に捉えることも、良いのかなと思うのです。
もちろん、それでうまくはいかない場面もあります。本当に敵意を持った何者かの言葉かもしれません。
しかし。うまくいかない場面とそうでない場面とを比べたら、そうでない方が圧倒的に多いと思います。
貰えるものは、貰っとけ。
貧乏性な私には馴染みの深い言葉ですが。
意外といろんな場面で使える。そんな風に思います。
こういうものも含めて。
当たり前と捉えるか、有り難いと捉えるかによって。
きっと、色々な違いがある。
そんな風に思います。
なにがし。