病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

悲しみや苦しみを比較するということ。

苦しみの比較。

良くある会話だ。

以前にもこんな話を書いた。

www.nanigashimental.work

そう。

誰かの言葉に対して、

私なんて〇〇だったよ!
とか
俺なんか〇〇で大変だった!
とか
隣の家なんか〇〇だ!

とか。
自分と、自分以外の苦しみを比較して
勝手な判断を下す。

簡単に、言いがちではあるけれど。

それは、比較に値しない全く別のものでしかない。

と、私は思う。

「飼っていた愛犬が死んだ。悲しい」

「親が死んだ。悲しい」

どちらの言い分も、悲しい出来事だけれど。

愛犬をどれだけ大切にしていたかはその人にしか分からない。親もそう。
親に虐待をされていたとしたら、憎んでいる場合すらある。

だから。
第三者の目線で、愛犬の命と親の命なら、
親を失った方がつらいに決まってるという判断はどこか不自然に私は思ってしまう。

単純に出来事や言葉で。
人の気持ちという曖昧なものを比較しても、
その言葉を投げかけても。

相手の心には絶対に刺さらない。

ただ、それを考えることによって。
自分の心を保つとか、そういうことが出来るならそれでも良いとは思う。

他人とそういうものを言い合うというのが、不毛。

悲しみも、苦しみも。
その人の心の中だけのもので。

そこを踏み荒らしても、何も残らない。

なにがし。