考え方は色々ありますが。
向上心の終わりが、幸せのひとつのかたちなのかなと思います。
今日はそんなことについて考えていきたいと思います。
幸せはすぐそこにある
幸せになりたい。
そう考える人は多いかと思います。
私に相談や愚痴を言いに来る人も、よく幸せについて言うことが多いです。
自分の幸せはどこにあるのか?
その答えは、自分の中にあります。
他の誰かが持っているわけではありません。
幸せとは
人それぞれ、幸せの形は違います。
家族を持つことが幸せの形と思う人がいれば、
自立して一人で生きていくことに幸せを感じる人がいます。
年収300万円でも幸せな人がいれば、
年収1000万円でも満たされない人がいます。
誰が判断するものでもありません。
他ならぬ自分自身が、自分自身の価値観と見比べて幸せかどうかを判断する。
だから、考え方次第でいくらでも人は幸せになれます。
向上心と相反する幸せ
向上心。
これは生きる上で大事なものトップ3に入ります。個人的にですが。
しかし。
これがある限り、幸せな生活は訪れない。
とも思います。
なぜなら向上心がある限り、何かを求め続けるから。
だから満たされない。
満たされないならば、幸せではないからです。
だから単純に幸せを感じるには。
そこに向上心があってはいけない。
そこに幸せと向上心の関係、さらには複雑さが隠れています。
幸せは続かない
仮に。
自分が望む幸せな生活を手に入れたとします。
しかし。
幸せはそのままの形で永遠に続くことはほとんどありません。
生きる上での病気などのトラブル。
そして何より残酷な慣れがあるからです。
どれだけの大恋愛をしたとしても。
結果その人と結ばれたとしても。
最初は幸せを感じても、十年、二十年と時を過ごせばそれは当たり前になります。
もちろん、おしどり夫婦として長い時を変わらず幸せに過ごす家庭もあるとは思いますが、
ぶっちゃけそれは一握りです。
だいたいは慣れます。それどころか憎しみすら感じるでしょう。
慣れると言うことは、それを幸せだと感じることも難しい状態です。
幸せを持続させる向上心
ここまでの流れから、矛盾のようにも感じるかもしれませんが。
幸せの邪魔をする向上心こそが、幸せの持続には不可欠になると私は思います。
つまり幸せであり続けたいならば、努力は不可欠なんです。
大恋愛の末、結婚したならばそこまではいいです。
しかしそこから。
その関係性を保つための努力を怠るがゆえに、慣れてしまう。
だから幸せ、満たされたと感じる回路と同様に、向上し続ける回路を頭の中に持たなければならない。
100%の幸せ、もう何もいらないと言う感性は幸せを持続させることにとっては一番の害悪となります。
何であれ人の生活は続いていくので。
人生における短い期間の幸せだけを見てもしょうがないんです。
幸せは、持続させて初めて大きな価値が見えてくる。
私は、そう思います。
おわりに
何が幸せか?
その答えは人それぞれあるかと思います。
幸せを追い求めることは素敵なことだと思います。
でも決して、そこがゴールではない。
追い求めるならなおさら、その後のことまで考える必要があるのかなぁと私は思います。
幸せそのものを得るには向上心を捨てなくてはならない。
しかし、幸せを持続させる為に向上心は必要なのかなと。
今回はそんなお話でした。