今日は、理不尽について。
その中でも特に、職場における理不尽と戦う姿勢や考え方について語っていこうかと思います。
理不尽とは
働き方改革なんて言葉は最近よく聞きますが、 一般的な職場はまだまだ理不尽がはびこっています。
上司や先輩の気分で怒られるパワハラや、仕事の押し付け。 理由の無い無用な新人いびり。
これもまぁ立派な理不尽。
そういうものと戦うことはよくあるのかなぁと思います。
理不尽への対抗策
私なりのものをいくつか紹介してみたいと思います。
①努力
会社の大きな存在意義は、利益を上げるということです。
つまり、そこで働く従業員の大事な仕事も言うまでもなく利益を上げることです。
だから、会社にとって必要な成果や利益を出すことはとても大きな意味を持ちます。
いかに理不尽といえど。
会社に大きな利益をもたらす人材には向きづらくなります。
会社で働いている以上これは真理に近い考えです。
会社が無視できないほどの成果を叩き出すなら、会社だってその人に注目します。
だから、そこを目指す。
私なりの一番大事な、社会人らしい会社における理不尽との戦い方です。
②反撃する
目には目を。 理不尽には理不尽を。
理不尽に怒られたら、声を荒げて反論する。
会社を休む。
上司に報告する。
これはできる人が限られていますが、これも立派な理不尽との戦い方です。
やりすぎは禁物ですが、自分の意思を表明するということは非常に大事です。
しかしながら、やり方によっては反撃はさらなる反撃も生みます。より大きな理不尽となって自分に返ってくるかもしれません。
さらには、職場の人にも迷惑をかけるかもしれないので。
諸刃の剣であることは否めません。
意思の表明は大事です。
傷つき戦うことによって得られるものもあるし、それは生きる上でとても大事なもの。
ただ、とても難しい。
できる人が限られるという理由はここにあります。
③我慢
ただ、じっと耐える。
何を言われても耐える。
状況によっては誰も助けてはくれません。
でも耐える。
反論できない、という場合も含めて耐える。
これはあまりオススメしません。
自分が耐えればそれでいいという状況を楽に感じてしまうんですね。
ひどい場合は何年もこの状況が続きます。
いつまでも、改善されないまま。
攻める我慢、という選択
③で述べた我慢という選択にも、実はスタイルがあります。
それが今回のテーマ「攻める我慢」です。
魅せる我慢といってもいいですね。
我慢していることを周囲にアピールします。
そして、周りからの助けを待つという方法です。
一見、いやらしい作戦かもしれません。
しかしながら。
世の中には一定数います。必ず。
我慢するしかない、という考えに支配された人が。
理不尽と戦うことは大事だけれど。
もう人間性としてそういうことが苦手な人がいるんです。
そういう人に。
せめて、こういう考えもあるよと伝えたい。
攻める我慢の方法
理不尽にあったら、それを自分だけで留めずに周囲にアピールしましょう。
その時必ず、愚痴は言わないことを心がけます。
ただ我慢するのと変わらないので、それはできるはずです。
方法はたったこれだけです。
あとは、周囲の助けを待ちます。
ただの我慢ならば、人には気持ちは伝わりません。
状況も中々好転しません。
我慢しつつ、気持ちを暗に表明する。
同じ我慢でも、守るばかりではない。
攻める事ができます。
ただし。
①で述べた努力はしましょう。
攻める我慢と、努力はセットです。
努力していることも、人の心を動かします。
更に周囲は、助けてくれるかどうかわかりません。
むしろ助けてもらえたらラッキーぐらいで考えましょう。
「我慢しよう」
「私が我慢すれば」
それで済む場合も確かにあります。得るものもあります。
でも。変わらなかったら。
ただ苦しみ続けるだけです。
自分は我慢している、ということぐらい伝えてもバチは当たらないと思います。
おわりに
この攻める我慢は、我慢における最終手段と言っても過言ではないと思います。
あくまでも我慢という選択をするならば。
きっと、これぐらいは許されるのではないでしょうか。
ずるいかもしれない。
狡いかもしれない。
でも。これはこれで確かな武器でもあります。
納得させたもん勝ちです。
良い環境を勝ち取れば、勝てば官軍です。
それだけではありません。
この技を完成させるには、
努力とコミュニケーションという大切なスキルが必要です。
そうやって得た技術を次は別の方向で使うことで。
きっとまた新たな世界が見えるはず。
そう私は思います。
誰の為でもない、自分の為に。
理不尽に負けるな。食ってやれ。