病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

コミュニティも病に罹る。

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人が二人も集まれば、それはコミュニティと呼ばれます。

なんらかの目的を持った集団。

それは家族でもあり、会社でもあり。
地域であり、趣味のサークルでも、人が集まれば何でもそう。

今日はそんなコミュニティが罹る病気の話をしようかと思います。

本で読んだ気がするけれど、詳細を思い出すことも出来ず調べても分からなかったので、
私なりにまとめました。

コミュニティは病む

体の免疫機能に例えてみると分かりやすいかなと思います。

ウイルスを追い出す鼻水が出る代わりに、鼻腔内の血管が傷付いて出血したり。
ウイルスを追い出す咳をする代わりに、肋骨が折れる、喉が痛くなる。
ウイルスを死滅させるために発熱し、その熱で他の器官がダメージを負うなど。

寄り集まった集団であるがゆえに、誰かが何かをする代わりに別の誰かがダメージを請け負う。
そんなことは結構、ありがちです。

これがコミュニティの中で起きる、ということです。
それが広がり、最終的にその機能の何らかを失う。

病が体を蝕み、その自由を奪うように。
コミュニティの中でも同様に、それぞれの役割を持った人と人が押し合いへし合い、全体に悪影響を出す。

必要であることもあれば、当たり前と考えることも出来ます。
更には、治療しようと思えばなんとでもなる。

そんな特性もあるので、なおさら厄介なのかなぁと思います。

病の正体

そんな、コミュニティが罹る病の正体は何なのでしょうか。

人は、二人として同じ考えを持つ人はいません。
一卵性双生児ならばそれに近しい部分もあるかもしれませんが、他人では全て同じとはまずいかない。

平たく言えば、病の正体はコミュニケーション不全です。

あの人はこう言った。
私はこう思った。
だからこう言った。

意思疎通のプロセスが正常に行われない場合が増えると。
ちゃんとしようと思わない人の割合が増えていく。

風邪のウイルスが体中に広がるように。

これはダメだ、やり方を変えよう!という強烈な免疫力が働かなければ、悪化の一途を辿るかジリ貧になるか、という話になるかと思います。

私が経験した、重い病

これは、

一人はポジティブで、言いたいことをズバズバ言える人。
もう一人はネガティブな、口数の少ない人。

そんな二人組の話です。

その二人は元々仲が良いのですが、長く一緒に過ごしたことでたまに喧嘩をするようになったそうです。

一人は言いたいことを大声で言い。
もう一人は反撃はしないものの、その喧嘩の後は何日もネチネチと嫌味を言う。

一人は、何日もネチネチと言われるのを嫌がり。
もう一人は大声を出されることを嫌がる。

一人はいつまでも様々な角度からいつまでも文句を言えることを妬ましく感じ。 もう一人は自分の意思をハツラツと言える人が妬ましい。

お互いに、嫌で妬ましくて。
お互いに、相手は自分のことを理解してくれないと感じて。

しかし毎日のように喧嘩するかと言ったらそうでもない。
たまに良くて、たまに最悪。普段は別にどうと言うこともない。

この繰り返しが二人の関係性を終わらせることもなく。
ただただ、その憎悪が小さく小さく積み重なっていくという結果になります。

喧嘩や日常のイザコザが増えるとあの時はごめん、と素直に言えなくもなります。
なぜなら。
あの時はごめんだったかもだけど、この前はそっちはこう言ったよな。だからおあいこ。
なんてことになるからです。

やられたらやり返す、返報性という機能が人の心には標準装備されていますしね。

長ければ長いほどその思いは膨れて。 どちらかが死ぬまで続く、終わらない苦痛だとその二人は言っていました。

これは、重い病のようだ。

そんな風に私は思ったことを忘れません。

病の克服

そこまでになると。
ああすれば良いとかこうすれば良いとか、他人が口だけで入る余地なんてほとんどありません。

お互いが納得する妥協点は、針の先端のごとき細かく、小さなところ。

それを双方が。
良くなろう、変えようという意思を共有して歩み寄って。
二人で本気になって探らなければ自力では解決できません。

海外のカウンセラーが夫婦の問題を解決するために、三者面談で双方の話を聴くと言う話がありますが。
それはこういう理由からです。
何年分もの積もり積もった毒を双方が吐き出し切らなければ、スタート地点にも立てないのです。

会社ならば、管理職が大号令を出せば解決するかもしれません。
組織を守るために原因となる存在を解雇するという選択だってあります。

しかし。

親子や夫婦などの小さなコミュニティでは、圧倒的な力関係があるわけでもなかったりします。

すっぱり関係を断つか。
それ以外の道は、大きなきっかけがなければ相当に茨の道です。

対症療法の考えも必要といえば必要ですが、それ以上に未然に防ぐという考えが必要なことかなぁと思います。

病の防止方法

参考程度にこの病の防止になる方法をご紹介したいと思います。

コミュニケーションを図ること。
そして、与えられた役割をしっかりとこなすこと。

この二つがまず大事だと思います。

そしてもう一つ紹介します。 私がカウンセリングの勉強に通っていた所で行われていたことで。
必ず朝のミーティングで全員が発言するという方法でした。

今日の気分はどうか。
何か伝えたいことはあるか。
面白い話、悲しかった話。
今何を考えているか。 何でも基本的に自由に発言します。

ルールが三つあります。

発言は挙手で。
前の人の発言を聞いて自分はどう感じたかをまず最初に言うこと。
そして、相手の話の否定は極力しないこと。

これです。 もちろんここまで堅苦しくなくても。
みんなで集まってご飯を食べるときなどにそれぞれが言いたいことを言える環境づくりでも良いでしょう。

アルコールや薬物依存のサークルでも似たようなことをやるのをテレビなどで見たことがある人もいるんじゃないでしょうか。

これはカウンセリング、心理におけるプロフェッショナルが推奨する方法と言っても大げさじゃありません。

しかし会社でも、家庭でも。
これを今日からやろう、と言ったら奥ゆかしい日本人の特性上、きっとほとんどの人が嫌がります。

私も最初は一番の苦痛でした。

しかしながら何事も継続してみると、それが当たり前になり不思議と団結力が増します。
今日はあの人はどんなことを言うのかな、自分は何を言おうかと楽しみすら感じました。

自分が思ったことを自由に言っていい場所、発言していいタイミングって意外と多くはありません。 もちろん、その人の性格にもよりますが。

全員が全員同じ気持ちかと言われれば、違って当たり前です。

しかしこの行いにはやった人にしか分からない、継続したコミュニティのメンバーにしか味わえることのない感覚が間違いなくあります。

この感覚は。
今回の主題であるコミュニティの罹る病を多少なりとも退ける力があるんじゃないかなと私は思っています。

おわりに

今回はコミュニティの罹る病の話を書きました。

主にメンバー間の意思疎通が上手に行われないとそこに溝が生まれ、コミュニティ全体が悪い方へと向かってしまう病です。

この状態になった後に対処するのは、強烈なリーダーシップ、もしくはそれに関わるメンバー全員の目的意識の共有とそれに向かう本気の行動が必要であり、後者は特に困難を極めます。
従って、未然に防ぐという考えがとても大事になります。
未然に防ぐ方法は大きく二つ。コミュニケーションをしっかりと取ること、そして各々が与えられた役割をしっかりこなすことです。
最後に、カウンセラー養成所や薬物依存の更生施設で行われている方法も書きました。これはメンバー間の相互の関係性を育て、コミュニケーションを基礎とした強靭なコミュニティを作る為のおそらく最も基本的な方法です。

こんな話でした。

誰しもが。
家族なり会社なりのコミュニティに何らかの形で属していると思います。

その中で。
上手にコミュニケーションが取れていないなぁ、言いたいことが言えないなぁというのはどこにでもありがちではあるのですが、
決して良いことではないと私は思います。

その根拠は、自分がそう感じるならば他人がそれをやることに何らかの感情を持つことがほとんどだからです。

憧れのようなものならばまだ良いでしょう。
しかし、妬み嫉みになるとそれはちょっとうまくない。

だから。

利益を得ることが大前提である会社等のコミュニティでは、それが必ずしも良いかどうかまでは分かりませんが。
言いたいことを言える、表現できる環境って基本的にものすごい大事だと私は思います。

なんだか大きな話になってしまいましたが。

今回これを書くきっかけになったのは、二人だけというコミュニティで。
これはこれで、大人数を抱えるコミュニティよりもある意味難しい側面もあるのかな、なんて思いました。

なんて。

なにがし。