今日は、私の考えをとにかく吐き出すだけの記事です。深い意味はありません。
ちょっとそんなことを書きたいと思うに至ったまでです。
悩みに至る病、という話です。
人は、様々なことに悩みます。
これはまぁ、当たり前の話なんですが。
何となくですが、共通点があると思うのです。
それは。
少なくとも私が接してきた人の悩みのほとんどが。
選ぶことが出来るが故の悩みが多い、ということです。
ほとんどと言っても過言ではありません。
選ぶことができるというのは、どういうことかと言うと。
例えば、会社の人と上手く接することができない、とか。
家族と上手くいかない、とか。
平たく言うと、
やめようと思えばやめることが出来るけれど、それを選択できないし自分もどうしていいか分からない、と言った感じの悩みです。
つまり。
会社の人付き合いが嫌だから苦しい、という人は。
ものすごく突き放した書き方をすれば、会社を辞めれば済むことで。
家族と上手くいかないなら、家を出れば済むことで。
しかしながら、それを選択することが出来ずに苦しむ、というパターンです。
私は、人の悩みというものはこういうものだと思っています。
世の中の如何ともしがたい不条理に苦しむ人や、抗えない病気で余命いくばく、という状況に苦しむ人はもちろんいらっしゃるとは思いますが。
そういう人ほど逆に強くたくましく、人に弱みを見せないように前を向いていると思います。
それ自体は尊敬に値する考え方だと思いますが、別にそうでない人を貶めるような気持ちも全くありません。
繰り返しますが。
私は、人の悩みは選択できるからこそ、しかしながらそれを選ぶことのできないもどかしさの賜物だと思っています。もちろん、全てが全てでもないですが。
選択できるが故に苦しむ。
これを考えると。
ある一つの考え方も見えてきます。
それは、自死です。
指一本動かせないような病気、状況でない限り。
実際にやる、やらないは別にしてどんな人でも物理的には可能です。
だから。
自死という終わりの選択があるからこそ、人が悩むという考え方が出来てしまいます。
人が抱えうる悩みのほとんどが、死で決着する。
それが頭の片隅にあるうちは、人は悩むことから逃れられない。
そう私は思います。
悩むから自死を選択するというよりも、自死という破滅的な考え方を捨てきれないからこそ人は悩む。
その結果、自死という選択をする人はする。
そんなことってあるのかなと私は今、思っています。
こう思った背景には。
逆に自死という選択を全く考えない人は、前向きに生きようとするという事実があるからです。
思い悩むことすらない、とまでは言えませんが。
そこに立ち向かうエネルギーは、途轍もないと思うのです。
余命いくばくな人ほど前向きに生きようとするということもここに繋がります。
自分が死ぬなんて、ネガティブなことを考えない人っていると思うんですよね。
そういう人はやっぱり、自分にも相手にも正直だし、豪放磊落で、困難に嬉々として立ち向かったりします。
どこか感じる、己への破滅的な願望を捨て去った時、人は困難に立ち向かう力を得る。
そんなことが言えるんじゃないかな、と思うのです。
検討外れかもしれません。
何言ってんだこいつ、そう思う人もいるでしょう。
大して教養もなく、難しいことも知らない私はこんなことしか言えません。
完全に、感覚的に思ったことですが。
なんだかこんなことを書いてみたくなりました。
私はもちろんネガティブなので。
破滅的な願望が無い人の感覚を知ることはできません。今の所。
だから、はっきりと言い切ることはできないけれど。
悩みに立ち向かう方法として、ひとつ。
己の破滅的な考えを捨てる。
こんなことを言えるんじゃないかなと思います。
なにがし。