今日は。
心が折れたり。
嫌なことがあったり。
選択を間違えたなぁと感じる人に。
ちょっと一緒に考えてほしい話を。
過ちは、苦しいもので。
でも何でそれが苦しくて、その気持ちをどうしたらいいのか。
みたいなところを考えていきたいと思います。
私的には、こういう話を何回か書いていますが。
変わっていく考えを切り取ることが大事な気がしています。
ミスや過ちはなぜ苦しいのか
それ自体が苦しいのではなく。
それによって引き起こされる事柄や感情に苦しむのかなぁと思います。
誰かに怒られるという不安。
やってしまったショック。
人に失望されるのではないかという恐怖。
選択を誤ったという後悔。
自分への怒り。 自責の念。
考えてみてください。
もちろん物事にもよりますが。
例えば同じ過ちをしてしまった時、
最初に失敗した時よりも慣れるものですよね。
この失敗は、みんな笑って許してくれる、とか。
前と同じ選択ミスだけど、これは思ったより平気だったから、とか。
そういう経験によって不安や恐怖が薄れているからこそそう感じるのだと思います。
人生に、正解なんてない
で。
人生に正解なんてないというのは誰しもが知っている通りだと思います 。
ここがミソです。
失敗や選択ミスによって落ち込んでいる間。苦しんだり、自分を責めている間。
誰しもが知っているはずのこの言葉を忘れてしまうということがかなり多いんじゃないかなと感じます。
もちろん。
起きたばかりの出来事に動揺し、苦しむということは理解できますし、そもそもそれが当たり前です。
なので、ある程度はもう覚悟して苦しむしかありません。
自分を取り戻してからでいいので、深呼吸してもう一回考えてみてください。
正解も不正解も分からないはずの出来事にいま、苦しんでいるということを。
失敗は、きっかけに変わるもの
私も何度も感じたことがあります。
ちくしょう。悔しい。もう嫌だ。苦しい。仕事にも行きたくない、友人にも会いたくない。
大好きなお酒もちょっとしか喉を通らない。
そう思わせる出来事が、本当に失敗だったのかということを知り得ないのに。
出来事が起こった瞬間から。
その場では明確な失敗したという事実を突きつけられるかもしれません。
例えばブチ切れた上司に思いっきり説教を食らったり、パートナーに振られてみたり。
家族に物を投げつけられたり。友人と喧嘩をしたり。
その時点では失敗したと感じるかもしれません。
他人の評価の中ででそれが失敗だととりあえず認識されるだけです。
しかしなんだかんだと言いながら。
その出来事は経験となり、未来を変えていくと私は思います。
だって。
それが自分の人生にとっての正解か不正解かなんてその時点では分からないのですから。
自分にも、ましてや他人にも絶対に分かりません。
大事なのは、失敗したかどうかではなく。
その出来事をきっかけにすることができるかどうか。
それだけだと思います。
おわりに
失敗は、苦しいものです。
一時のものもあれば、ずーっと苦しむ出来事もあります。
しかし。たくさんやってきたじゃないですか。
なんだかんだ言って、その場その時が一番苦しい。
次の日になれば次の日に起きる出来事が一番です。
きっと。
分かっていると思います。
その瞬間の絶望感は筆舌に尽くし難いものですが、せっかく苦しむんですから。
すこしでもそれを無駄にしないように。
私はそんな風に思います。
なにがし。