今日は、少しだけ際どい話を書こうかな、なんて思います。
私は常々思うのです。
後悔するぐらいなら、
なぜもっと頑張らなんだ。
と。
未来のことなんてわからないんですけど、
後悔するぐらいなら、
脇目も振らず全力でやり切ることが大切だと思っています。
私はいつも、人間って失って初めて気づくものだと書いています。
そう。
失うまでは、その大切さにはなかなか気づかない。
これは私の頭の中で理解しています。
そして、
失って初めて気づくものだということも同時に理解しています。
つまり。
なんてことないと思っていても、
いざ失ってみたらキツい。
そんなことが往々にして言えるわけです。
つまり、
なんてことないと思うものも、
大切にしなきゃいけないのではないのかな、と。
そこまで思考を飛ばすことも不可能じゃないはず。
だから。
だからです。
できるだけ大切にできそうなものは大切にしておくが吉だ、と言えるのではないでしょうか。
身の回りのものを全て大切にするのは難しいかもしれませんが、
一日ひとつでもいいから、
当たり前にあるものに感謝をする。
欲を言えば、
あらゆるものに感謝をする。
そうすることで、後悔を軽減することができるような気がします。
なんだろうなぁ。
なんと表現するのが正しいかは分からないんですけど。
私はそんなことを思いました。
これは昔話なんですが。
ある身内の葬儀があったんですよ。
その時に号泣している方がいたのです。
「こうしてあげれば良かった」
「もっとこうすれば良かった」
と、みんなの前で叫んでいました。
その後悔の涙を見て。
幼き日の私は、
「号泣するぐらいなら、なぜ、それをしてあげられなかったのか」
と強く感じたのを覚えています。
それが例えば、
とても遠くに住んでいる親族、とか。
仕事が忙しかった、とか。
のっぴきならない事情があるならまだしも。
私の目から見て、
それができないような生活はしていませんでした。
周囲の大人たちも、冷たい視線を送っていました。
人間誰しも、間違いはするものです。
でも。だからこそ。
「人の振り見て我が振り直せ」
の言葉どおり。
やるべきことはそれなりにやっておかなきゃいけない。
と思うのです。
難しいんですけどね。
そんなに無理はしなくていいから。
自分の心の「声」をしっかり聞いて。
今の自分の立ち位置をしっかり見て。
生きていかなきゃいけないのです。
年齢を重ねれば重ねるほどに。
なぁなぁにすると怒られるわけですからね。