物事は、移り変わってゆく。
愛したラーメン屋さんの、ラーメンの味も突然変わる。
今日の記事は、こんなことがきっかけで思いつきました。
いち客の立場では、元の味に戻してほしいなんて言えない。
店にも都合ってものがあるし。
利益的なものなのか、味を改良したのかは分からないけれど、
店がそうしたのならしょうがない。
だから。
いつもそこにあったはずの私の憩いの味は消えたんだ。
そう思うしかないのだ。
思い起こせばこういうことって結構ある。
親しかった友人も、何年か合わないだけで別人のようになる。
行きつけの喫茶店も突然閉業。
優しかった個人病院の先生も病気に倒れ。
いつもコンビニで買っていたあのおにぎりも突然無くなった。
毎週楽しみにしていた漫画もいつか終わり、
大好きだった職場も、離れざるを得なくなる。
いつものように出社してくるはずの同僚も、次の日には物言わぬ存在になった。
いつだって、別れは突然だ。
どれだけ泣こうが喚こう叫ぼうが苦しもうが、変化したものは二度と戻らないものが多い。
でもだからこそ。
人はそれぞれ大事なものを守り、維持しようとするのだと思う。
失った経験が多いほど、きっと。
いつしかそれもまた人は忘れて、慣れて、そんな矢先にまた失って。
そうやって少しずつ。
失うということの意味を理解しながら生きていくのかなぁと思う。
当たり前とか常識とか。そんなものは実はそこまで多くなくて。
多くの物事は偶然出会って、偶然その場にあって。
たまたま自分が認識している範疇でそこにあるだけのものだったりする。
人は驚くほど簡単に死ぬこともあるし、
世の中の大きな流れや事件、災害なんかも、時々こんな枝葉の末端の葉緑体の細胞みたいな私の元にも届いたりする。
なんだかんだ、人間みんな薄氷の上にいるようなもので。
当たり前とかそんなものは多くはない。
当たり前であってほしい、そんな願望が一人歩きしているような感じに思う。
しかしながら、人生は長くて短い。
当たり前だのそうでないのなどと考えていても、時間は進む。
そんなことを考えている間に、何か教本の一つも開かなくては人生ままならない。
結局、個人にあてがわれている当たり前のようなものを当たり前に感じて、生きていく。
失ったらその時悲しめばいい。
そんな生き方がおおよその流れかと思う。
人間、実際そんなに暇じゃない。
悲しいけれど。
目の前に山積する、しがらみにとらわれ、そちらに目を向けざるを得ない。
私もまた。
そうやって失ったものを記憶の奥底に沈めて、明日という日を漫然と生きるんだろう。
変わりゆくものから目を背けて。
なんて。
なにがし。