なんだか胸がざわざわして、落ち着かない。動悸がする。
たまに、そういう日があります。
仕事に向かう足が、なんだか地につかない。
でもそのまま会社に向かって。
何事もなく一日が終わる頃には、忘れている。
何かしらの一抹の不安がそうさせるのだと思いますが、
何が原因かは分かっていたりそうでなかったりするもので。
そういう日ほど、自分と向き合うことが大切なのかなぁと思います。
よくよく考えてみれば。
何もないのに動悸なんて、すごいことです。
ホラー映画を見たり、お化け屋敷に入ったり。
そういう身の危険を擬似的にでも感じると起こる現象ですが。
何もなくとも自分の不安感だけででそういう生理現象が起きていると考えると。
身に覚えのないことだった場合、何かしらの心からのシグナルと捉えることができます。
そうでなくとも、動悸は何かしらの病気のサインの場合もあるので。
昨日までの自分の行動はどうだったのかな?
体調は大丈夫かな?
と自分を気遣うと良いと思います。
気になる部分があるならば、確認することで治る場合もあります。
治った段階で。
思ったより自分が気にしていたんだなと理解することができれば。
次回からはこうしよう、なんて行動の改善にもつながります。
心配事の9割は起こらない。
なんて考え方もあります。
例えば、一時的に気分を変えてみるのも良いかと思います。
それで治ればそれで良し。
でもそうでなければ。
気になってしまった時点で、何かしらの自分と向き合う行動をとることで解消されることは少なくありません。
臭い物に蓋をしても。
自分の心は知ってしまいます。
自分は、自分と向き合ってくれないんだな、と。
そういうところから。
なんだか自尊心が失われ、他人の価値も低くなってしまいます。
胸騒ぎなんて言ってしまえば些細なことかも知れません。
しかしながら。
些細だからこそ向き合うことも簡単なはずです。
そんな簡単なことすら自分にしてあげられないのでは。
自分の価値を自分で低く見積もってしまうことになってしまいます。
他人の行動も同じだと思います。
些細なことほど、それぐらいやってよと思ってしまったことはないでしょうか。
些細だからこそ、やらなくても良い。
しかし些細だからこそ、やるべき事もあります。
自分の行動を自分は見ている。
他人に隠すことは出来ても自分には隠せません。
同じ自分という存在でも、心はちょっと違います。
そんなところを考えてみると、また違ったところが見えてくるかも知れません。
なにがし。