病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

楽に生きるには権利が必要。

私は。
やらなくて良いならばできるだけ努力はしたくない。

できるだけぐうたらに生きていたいし、周りの人に気を遣うのも疲れる。
一人引きこもって。
こうやってたまに知らない人とお話をして。
お菓子を食べてゲームでもして漫画を読んで。
好きなだけ寝て、夜中に起きて。
たまに好きな場所にドライブして。
行きたい所に旅行をして。
そこで出会った知らない人とお酒を酌み交わす。 そして帰ってきたら仲の良い友達とお酒を酌み交わす。

そんな生活を送るのが理想だ。

しかしそれは。

日々死に物狂いで生きる大勢の人たちからすればとんでもない贅沢で。
そこに至るまでの努力は筆舌に尽くし難い、ていうかそこそこの飛び道具がなければまず無理なことで。

こういう自分のしたいことができることを楽に生きる権利、と私は考えている。
ちなみにこれには、周りからの容認も含まれている。

これは、冒頭の私の理想がぐうたら生活の指針に則っている為に分かりにくいかもしれないが、
実際はもっと様々で、人それぞれ理想があると思う。

パチンコや競馬で生きるという人。
ネットの稼ぎで生きようという人。
自分を表現して行きていこうという人。

なんでも。

夢に生きるみたいな人、日常の自分の振る舞いの自由さも含めて。
自分のやりたいように生きて、かつ他人からも認められている状態ということを目指す。

これは。

結局のところ、努力やリスクを抱えた向こう側にあることがほとんどだ。
これが、私の考える楽に生きる権利を手にする唯一の方法と言っても良いのかもしれない。


例えば、芸能界。

これはいうまでもなく華やかかもしれない。
でも実際私たちが目にする人は、そんな夢を掲げた中でも一握りの人しかいない。
その中で。
努力や運、リスクをもってのし上がった人がほとんどだと思う。

そうやって得た自分の場所も。
日々、下から突き上げてくる新たな存在と戦いながら必死に保持している。

良い車に乗って、良いところに住んで、異性にはモテモテ。

一般的なイメージはそんな華やかだけれど。
その場所は儚く脆いものでもある。

そこに立ち続けるのは、簡単なことではないと思う。

俗に一発屋と言われる人たちや、あの人は今で特集される人たちは。
その場所を別の何かに追われた人たち。

それだけならばまだ良い。

思い返してみれば。
何年か前には結構テレビに出ていたのに。
もうほとんど覚えていない、なんて人も意外と多い。


豊かな才能があっても。
数に限りがある業界やポジションであれば、他人を蹴落とす必要がある。

そこまでやって初めて、楽に生きる権利はもたらされる。

誰しも。
同じものを求めるならばそこには競合という概念が生まれ、
そうなった時点で勝負が始まる。

それはお金や地位、名声。
職場一つとっても。
厳しい人ポジション。
優しい人ポジション。
仕事ができる人ポジション。
数に限りはないけれど、目に見えない順位はどうしても生まれる。

その中でせめぎあって、初めて自分の楽に生きる権利はもたらされるんだ。


ちなみに。

別に、私の考える楽に生きる権利がなくても人は似たようなことができる。

私もやろうと思えばぐうたら生活ができる。
しかし。
そのうちお金が足りなくなることは明白だ。
それも突き抜けて。
例えばある程度の知識を持っていればそれなりのことはできる。

日本国憲法第25条で、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利も保証されているわけで。

しかし。
それをやったら周りからは確実に見放されるだろう。

楽に生きる権利を持たずに、やりたいことをやってしまうと。
基本的にそれ以上に苦しむと思う。

芸能界と同じだ。
楽に生きる権利の為には努力やらリスクやらが必要なのに、それを放棄してしまうと。
まずもっていい結果にはならない。

私の考える楽に生きる権利は、それなりに重い。


人にはいろんな生き方があると思う。
考え方が多様化した現代ならなおさらだ。

でも。

それなりに突き抜けた存在でない限りは、

お天道様は見ているという状況からは逃げられない。

色んな物を捨て、努力して、リスクを負って。
そんな人でなければ掴めない環境がある。

その中で。 自分が求める理想と話し合って、折り合いをつけて生きていく人がほとんどで。

結局のところ。

自分が求めるものの大きさに沿って、努力をしていかなければならないんだよ。
というのが今回言いたかったことです。

世の中、そんなに甘くない。
努力して掴んだ立ち位置だってバッシングされて当たり前なんて時代だ。

真っ当を地でいくならばそれなりに。
日陰を歩くならばそれなりに。
か細い道を行くならばそれなりに。
前人未踏の道を行くならば、それなりに。

求められものもまた、違ってくる。

如何にして生きるか、そんな正解は無い。

自分の道は、どうあっても自分で切り開くしかない。

なんて。

なにがし。