簡単じゃない。
そんなことは分かっているけれど。
今日は、音楽について。
以前このブログでも紹介させていただきました。
ラパンテッドさん。
2020年7月を持って解散されました。
こんな風に取り上げるのは苦しいけれど。
ひとまずはお疲れ様でした、と言いたいと思います。
誰に限らず。 バンドが解散する、という言葉を見ると私はとても複雑な気持ちになります。
今日はそんな思いをぶちまけてやろうかな、と思います。
私はそれなりに長年、音楽という存在に勇気をもらい慰められて生きながらえさせていただいていると思っています。
私自身も下手くそながら、東京のど真ん中で何度もライブをした身です。
だからこそ。
嘘のようにただ解散していったバンドも。
才能に溢れていながら道半ばで音楽を諦めた人も。
借金まみれなのに嘘みたいな笑顔でドラムを叩いていた人も。
将来の不安を薙ぎ払うようにギターをかき鳴らしていたあの人も。
売れなきゃ死ぬしかない、なんて言っていたボーカルさんも。
実家の農家を継ぎに帰ったあの人も。
女性関係のトラブルによって喧嘩別れで解散したバンドも。
突然音沙汰の無くなったバンドも。
テレビやネットの向こうでしか知らない人も。
実際に同じ楽器を触って、お酒を酌み交わした人も。
たくさん、たくさん知っています。
それほどに。
音楽の道は、険しい。
きっと、難しいとか簡単だとか、そういう次元じゃない。
人の生き死にと生き様と、いろんな物が揉みくちゃになって。
年齢を重ねて売れなければ不安になり。疑心暗鬼になり。
裏切ったり裏切られたり。
同じ釜の飯を食ったバンドメンバーが、親の仇のように感じたり。
バイトをして。寝る間も惜しんでひたすら練習して。
一人では出来ないからこそ、メンバーとの確執も生まれたりして。
才能と、努力と、天運の壁を何度も思い知り。
時に運に見放されたりして。
色んなものを捨てたり、泣きながら手放したりして。
それでも。
何をやっても、音楽で食っていく、そんな立ち位置は掴めなかったりするもので。
そしてだからこそ。
皮肉にも人の心を揺さぶる、魂のこもった曲も生まれるもので。
全国のライブハウスの壁には。
そんなえげつないほどの思いがこもった曲たちが。
煙草のヤニと一緒に数え切れないほどこびりついている。
私はそう思います。
私が音楽を語るのが簡単じゃないと感じるのは。
大きく二つの視点があって。
それが完全なる矛盾をはらんでいるからです。
音楽に対する強い思いと。
人に対する思い。
それらを書いてみます。
一つは、音楽好きの傍観者として。
解散していったバンドにもちゃんと意味があって。
その人たちが残した曲や、耳に残ったフレーズはまた誰かの一部になって。
新たな音楽を形作る。そんな風に思います。
ものすごい残酷な言い方かもしれないけれど。
音楽はそうやって遺伝子のごとく連綿と、山のような犠牲の上に成り立って成長していく。
言わば、コラテラル・ダメージのごとく。
音楽のことだけを考えたら、どうしたって必要な犠牲は存在するということになります。
芸術の道、と言えば聞こえは良いのかもしれません。
音楽に限らず、多くの先人たちが。
命を削り、苦しみにまみれて、魂を切り売りした結果出来上がったものは。
後世まで語り継がれる存在になります。
その為に。
険しい道でなくてはならない。
一筋縄であってはならない。
我ながら、いっちゃってるとは思いますが。
そんな考えも一つ、あっても良いのかな、なんて思います。
そして元バンドマンとして、カウンセラーとしては。
解散していったバンドに対して伝え難いほどの思いがあります。
どれだけつらかったろう。苦しかったろう。
慰めの言葉なんて出てきません。
なんていったら良いかなんて分からない。
ひたすらにその道を駆け抜けたということにはただただ尊敬しかありません。
誰か特定の個人のためにやっている訳ではないと思いますが。
一曲、一節、言葉、旋律に救われた人はたくさんいるはずです。
そんな偉大な功績を残した人たちが、苦しみながらその道を去るということに、一体何の意味があるというのか。
そんな風に思うのです。
音楽で食べていきたいならば、それができる世の中だったら良いのに。
好きな音楽をやって食べていけるならば、そんな世の中だったら良いのに。
彼らに、彼女らに将来の不安がなければ。
約束された何かがあったなら。チャンスがあったなら。
伸び伸びと自由に表現できる環境があったなら。
それはそれできっと。
悲しむ人は減り、自由な音楽が流れ。
全く違う音楽の文化が形成されていたに違いない。
良いか悪いかは分からないけれど。
もし、そんな世の中だったならと思わざるを得ません。
その苦しみは、1億分の1ぐらいかもしれないけれど、
痛いほどわかるつもりだから。
甘いのは分かっているけれど。
訳が分からないくらい、そんな風に思います。
はっきり言ってしまえば。
ある程度、音楽の知識があれば売れ線と言われる曲を作るのは簡単です。
耳障りの良い、どこか聴いたことのあるような曲ならばもしかしたら。人々の耳に引っかかったかもしれない。
その道は、一本のか細い蜘蛛の糸からナイロンの糸ぐらいにはなったかもしれない。
趣味という形でそれなりの楽曲を作れる人もいて。
でも。
そこに安易には踏み込まずに消えていった人たちは、もっと山のようにいて。
そしてその人たちがいたからこそ、アンダーグラウンドな音楽は少しずつ育って、今の下地ができた。
難しいものです。
他人事だと私は、絶対に割り切ることは出来ません。
ですが。
こんなようなものだ、仕方ないと感じる私も確かに何処かにいて。
もう。
訳が分からない、そんな心持ち。
何れにせよ。
傍観者として、ただただ感謝するのみ。
そんな風にも思うのです。
願わくば、どんな道であろうと。
選んだ先の人生で、一人でも多くの人が、報われますように。
なんて。
なにがし。