ソーシャルディスタンス? そんなもんクソ喰らえだ!
そんなことを書いたらフルボッコにされるであろう昨今。
でも。
私はそんなことを先日、ちょっと思いました。
今日は、そんな話を。
氷点下の極寒の中。大粒の吹雪の田舎道。
今時珍しい、相合傘で寄り添いながら歩く高校生らしき男女を見ました。
考えてもみれば、2月。
もうすぐ、終わりと始まりの季節がきます。
彼らの関係性は私には分かりません。
しかし、もしそうなら。
1分1秒も無駄になんて出来ないよなぁ、一緒に居たいだろうなぁ、少しでも寄り添っていたいだろうなぁと。
そんな風に思いました。
世間は、これからのことを第一に考えてなんだかんだ言うけれど。
かけがえのない今がとてつもなく大事なことも忘れてはいけません。
ソーシャルディスタンスなんてクソ喰らえだ。
なんて思った、という話です。
もちろん、基本的な感染対策は必須です。
その時私が勝手にそう感じた、という話で。
じゃあ思い出作りだからと感染対策もせずにみんなで集まってワイワイ騒ぐことまで擁護するかといったら、
もちろんそうではありません。
大人も、もちろん大変な状況ですが。
それと同等、もしくはそれ以上に我慢を強いられているのは、子どもたちだと私は思っています。
一度きりの学校のイベント、部活の大きな舞台。
クラスメイトとの日常、登校そのもの、遊びに行くこと自体が制限される地域もあったでしょう。
同級生の顔も知らず、毎日リモート授業なんて大学も多いそうですね。
日本の近代史において、かつてないような経験をした世代。
世代という視点で見れば、震災や災害の被災地と今回のコロナ禍がぶっちぎりでしょう。
ウィズコロナだ、新しい生活様式だと割り切るということも否定はしませんが。
決して、何事も当たり前だ、仕方ないのだと飲み込むことだけが正解ということはない。
私は、そう感じます。
合理的な思考で言えば、当然間違いではないと思います。
しかし、感情面で言えば飲み込まなくたって良い。
むしろ飲み込むべきではない部分すらあると私は思っています。
これは違うだろう、と思うことはもちろんリスクを鑑みてだけど、声をあげたって良いんです。
踏み台に出来るならしてしまえ、なんて。
この不自由を、子どもたちのせめてもの糧にしてほしいなぁと思います。
自分たちが感じたままに、良くする為にはどうしたら良いのかを。
大人の一員としてこんなことを書くのは情けなく、他人事のようだとは思いますが。
未来を背負う若者に、何かしらの不自由と困難はねのける力が宿ってくれたらいいなと思うのです。
無責任でちっぽけだけれど。
私も、私のできることだけはやろうと。
前に進むんだ、と。
寄り添う若い二人にそんなことを思わされた、冬の夜。
なにがし。