病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

この上なく厄介な、「人が思う、人のカタチ」。

人は、心で生きています。

人の営みの奥底には、心があります。

悲しみだったり、怒りだったり、喜びだったり、快楽だったり。
そういうモノを追い求めて人は行動し、何かを為すのです。

その中でも、とりわけ厄介だと私が思うのは、

人のカタチです。

カタチと言っても、形状のことではありません。

「在り方」という言葉が一番近いかもしれませんね。

たとえば。

親子という関係性で見てみましょう。

親自身が求める「親の在り方」「子の在り方」。

そして、 子自身が求める「子の在り方」「親の在り方」。

親子という関係性には、この4つの在り方が関わってくるわけです。

双方互いに、こうであってほしい理想があり、
同時に、こうでありたい、という理想があるのです。

美談として語られるようなモノではありますが、
時に、愛憎あふれる恐ろしいものへと変貌することもあるでしょう。

それだけ。

誰かが誰かに対して求める「カタチ」は。
大きな影響を及ぼすのです。

満たされた時には、大きな喜びを感じ、
満たされなかったり、裏切られたり、そうできなかったりしたときには、

大きな後悔や、怒り、悲しみや失望を生むのです。

あるのは、純粋な二つの想いだけなんです。

自分はこう在りたい。
あの人はこう在ってほしい。

たった、それだけ。

それが叶うか、どうかだけ。

人間って生き物はそれだけで、
絶望したり、人生を捧げたりする生き物なのです。

綺麗に書くこともできますが、
今の私は、それをしたくない。

うまく噛み合わない関係性に苦しむくらいなら。
私はきっぱりと断ち切るべきだと考えます。

心を鬼にして。

他者に何かを望むのは人として当然かもしれません。

しかし。

他者の尊厳や思いを踏みにじってまでそれを求めるのは、
いかがなものか。

勝つか負けるかの勝負をするぐらいなら、
そんな関係性なんて、ない方が絶対に良い。

今日はどうしても、そんなことを書きたい日でした。