人は、心で生きています。
人の営みの奥底には、心があります。
悲しみだったり、怒りだったり、喜びだったり、快楽だったり。
そういうモノを追い求めて人は行動し、何かを為すのです。
その中でも、とりわけ厄介だと私が思うのは、
人のカタチです。
カタチと言っても、形状のことではありません。
「在り方」という言葉が一番近いかもしれませんね。
たとえば。
親子という関係性で見てみましょう。
親自身が求める「親の在り方」「子の在り方」。
そして、 子自身が求める「子の在り方」「親の在り方」。
親子という関係性には、この4つの在り方が関わってくるわけです。
双方互いに、こうであってほしい理想があり、
同時に、こうでありたい、という理想があるのです。
美談として語られるようなモノではありますが、
時に、愛憎あふれる恐ろしいものへと変貌することもあるでしょう。
それだけ。
誰かが誰かに対して求める「カタチ」は。
大きな影響を及ぼすのです。
満たされた時には、大きな喜びを感じ、
満たされなかったり、裏切られたり、そうできなかったりしたときには、
大きな後悔や、怒り、悲しみや失望を生むのです。
あるのは、純粋な二つの想いだけなんです。
自分はこう在りたい。
あの人はこう在ってほしい。
たった、それだけ。
それが叶うか、どうかだけ。
人間って生き物はそれだけで、
絶望したり、人生を捧げたりする生き物なのです。
綺麗に書くこともできますが、
今の私は、それをしたくない。
うまく噛み合わない関係性に苦しむくらいなら。
私はきっぱりと断ち切るべきだと考えます。
心を鬼にして。
他者に何かを望むのは人として当然かもしれません。
しかし。
他者の尊厳や思いを踏みにじってまでそれを求めるのは、
いかがなものか。
勝つか負けるかの勝負をするぐらいなら、
そんな関係性なんて、ない方が絶対に良い。
今日はどうしても、そんなことを書きたい日でした。