なんて。
ちょっと思ったので。
ブログタイトルを変更した日の記事で、
プロカウンセラーの方のキラッキラなPRがどうもしっくり来ないという話をしました。
その理由の一部がコレです。
いや、分かるんです。PRはしなくちゃならない。
私がプロならキラッキラにします。間違いなく。
でも、実は病んでるカウンセラーさん、結構いらっしゃると思うんです。無理してる感が気になるというか、引っかかるというか。ダメではないんですけど。
こういう本音的な部分も言いたいんじゃないかと思うんです。勝手ですが。
なぜ病んでいるのか。ちょっと理由を添えてご説明したいと思います。
そして。
カウンセリングのこと、カウンセラーのこと。
少しでもいいので知ってもらえたらなぁと思います。
病んでいる理由
来談者さんの感情に引きずられる
まずはこれです。プロカウンセラーは、毎日たくさんの悩みを抱えた人と向き合います。
共感的理解、無条件の肯定的配慮、自己一致という3つのスタンスを貫くことでカウンセラー自身の心を守るんですが、これが簡単ではないんです。 当然ながら受け答えの失敗や、来談者さんの意に沿わない問答をすることもあるでしょう。 そうなるともちろん怒られたりして落ち込みます。
来談者さんはお金も払っているので当然好きなことを言っていいんです。
大変なお仕事なんです。私は尊敬しています。
でもプロならば言い訳はできないですけどね。
そんなこんなでうまくできないカウンセラーは追い詰められます。つまり病みます。
私の師匠は、カウンセラーとしてスタートラインに立つには、有名な先生のもとで最低でも5年の修行が必要とおっしゃっていました。 それだけ道は険しい。ということです。
目指すメリットが少ない。つまり…
ズバッと言うとカウンセラーはあまり儲かりません。
お医者さんと比べると雲泥の差です。
臨床心理士ならまだしも。
なぜカウンセラーを目指すか、プロとしてやっていくのか。
もちろん人それぞれですが、悩みを抱えている人に寄り添いたいからじゃないかなと思います。
つまり、そう考える理由があるんです。
それは。カウンセラー自身も何らかの悩み抜いた経験や、人の生死に関わるような経験をしているからです。
重ねて言いますが、もちろんそうでない人もいます。
私の経験上、半分いくかいかないかぐらいは、そんな経験をしているんじゃないかと思います。
助けたい。寄り添いたい。
自分と同じ思いをしている人を助けたい。
そんな気持ちが人一倍強くなり、カウンセラーとして生きて行くんです。
これが、カウンセラー自身が病んでいる、または病んでいたという根拠になり得ると思います。
おわりに
病んでいるからなんなんだと思うかもしれません。
私も特に、それ以上は言うつもりはありません。
プロとしてやっていくなら。
カウンセラーの身になって考えてなんて言えません。
カウンセラーは来談者さんの思いに寄り添うのが仕事で、それ以上でもそれ以下でもないと思います。
プロならば、それを全うする必要があります。
1人の人間であると同時に。
もし助けてと求めるようならカウンセラーなど辞めるべき。そうとも思います。
そもそもカウンセラーと来談者さんに二重関係はご法度ですしね。
※二重関係とは、カウンセラーと来談者という以外に関係があることです。友人や家族恋人はもちろん、知人や同僚などのカウンセリングは良くないものとされています。
ではなぜ。こんなことを書いたのか。
これを読んでどう感じるかは、読んでくださった皆さんに委ねます。
ひとつだけ、これだけは言わせて下さい。 カウンセリングの基礎として、ラポールという関係性の構築が不可欠です。双方向の信頼関係です。
つまり、カウンセリングの効果を上げるには。
来談者がカウンセラーを信頼することも必要なんです。
そうさせるには、カウンセラーの技術が全てなのですが、この記事の中身を知っていたら。
その辺りの理解が来談者側からも進みやすいのかなと思います。
ここが私の本心です。
基本的に、来談者さんは何を言うのも感じるのも自由なんです。しかし、状況を改善するのは結局来談者さん自身であることは間違いなく。
こう言う知識があればカウンセリングの効果も実感しやすいのかなと思うんです。
カウンセラーを思いやってほしいという訳ではなく。
あくまで来談者さん自身のために。
昨今、カウンセラーの実力不足も騒がれていますし、正直カウンセリングも効果があるの?なんて微妙な立ち位置に追いやられています。
そんな中で。
なにかの参考になっていただければ幸いです。
ブログタイトル変更の記事。
ラポールの記事。
なにがし。