病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

抽象のハシゴで困難を乗り越える。

どうしたって人間は、感性というフィルターを通して物事を感じざるを得ないので。

物事の捉え方一つで様々な差が生まれます。

つらいことも、楽しいことも。

感じ方、考え方一つでどうとでもなります。

だから。

感性はとても大事で、物事の捉え方は日々の心の動きに直結するほどのものです。

今日はそんな、物事の捉え方を考えてみることで。

ちょっと心が楽になる方法を語っていきたいと思います。

良いも悪いも感性次第

物事の受け取り方は様々です。

同じように困難に直面したとしても。

これは自分が成長するチャンスだと捉える人と、

あぁ私はなんて不幸なんだと捉える人とでは。

それに立ち向かうモチベーションは全然違いますよね。

どうせ立ち向かわなくてはならない困難ならば、私は少しでもポジティブに捉えるべきかなぁと考えます。

困難に立ち向かう時は

絶望することも才能です。

www.nanigashimental.work

しかしながら。

何かに立ち向かうというのはエネルギーが必要なのも事実。

時と場合にもよりますが基本的に充実した状態で戦うことが望ましいとも言えます。 

充実した状態というのは。

その困難に立ち向かうことを納得した状態であるということですね。

つまりポジティブに捉えているということです。

物事の受け取り方を変えてみる

皆さんは、抽象のハシゴという言葉を聞いたことがあるでしょうか。

サミュエル・I・ハヤカワという人が考えた概念です。

ざっくり書くと。

物事を一段階ずつ抽象化して捉えることです。

例えば。

ポチという飼い犬がいるとして。

ポチ → 飼い犬 → 犬 → イヌ科 → 哺乳類 → 生き物

このように、少しづつ段階的に抽象化していくことを、

抽象のハシゴを昇ると表現します。

抽象のハシゴを昇るとどうなるのか

抽象のハシゴを昇ると、受け取り方も変わってきます。

例えば。

  • うちで飼っているポチが隣の人を噛んでしまった。

  • うちで飼っている哺乳類が隣の人を噛んでしまった。

この二つを見比べるとどう感じるでしょうか?

ポチという具体的な名前が出ると、身近な話に感じますよね。

それが哺乳類と書かれると、どこか他人事のような冷たい感じになると思います。

つまり、抽象のハシゴを昇ると捉え方が変わります。

言い方を変えると、客観視に近いものになるのかなと思います。

客観視をすると

よく、冷静さを欠いた時など。

一度落ち着いて自分を客観視してみよう、と言われることがあります。

抽象のハシゴを昇り、捉え方を変えるというのはそういうイメージです。

「うちで飼っている飼い犬のポチが隣の人を噛んで怪我をさせてしまった。

大変なことをしてしまった。どうしよう」

「うちで飼っている哺乳類が隣の人を噛んで怪我をさせてしまった。

大変なことをしてしまった。どうしよう」

こうなるともっとわかりやすい気がします。

なんとなく、焦った様子が消えてますよね。

下の方は、棒読みであっけらかんとしているように見えます。

やってしまったことはもうどうしようもありません。

焦ったからといって状況が変わるわけでは無いです。

こういう捉え方も、あってもいいんじゃないかなと個人的には思います。

もちろんこういう場合は誠心誠意、謝罪することも大事ですけれども。

困ったら、とりあえずハシゴを昇ってみよう

うちのお父さんと喧嘩してしまった。

うちの生物と喧嘩をしてしまった。

会社にいる上司に怒られてしまった。

会社にいる生き物に怒られてしまった。

いくらでも応用がききます。

目の前のつらさ、苦しさも当然あると思います。

でも。

こういうちょっとした捉え方の違いで冷静さを取り戻したりもできます。

人と人のやりとりは、答えもまた多種多様で。

答えを見出す際に不要な感情もあったりします。

そういうところを考えると。

いつもとは別の答えにたどり着けるのではないでしょうか。

おわりに

いかがだったでしょうか。

もちろん、このように捉え方を変えるというのは。

考え方によっては邪道にもなり、諸刃の剣にもなる危険性は秘めています。

これだけやっていれば良いというわけでは決してありませんが。

知っていれば時に、何かのお役に立つこともまたゼロでは無いと思います。

行き詰まった時に、こういうことも考えてみると新たな道を見つけることもできるかもしれません。

良かったら参考にしてみてください。

なにがし。