努力は、素晴らしいものです。
しかし、結果が中々でないものも中にはあります。
今日は。
努力が報われない、そんな悩みを持つ人へ。
私なりの考えをまとめていきたいと思います。
言うほど簡単じゃない、そう感じます。
でも、もし。
これで何かを掴める人がいるならば。
そんな思いで。
壁に当たった時に取る行動
仕事であれ、スポーツや趣味であれ、人生そのものであれ。
何かを長いこと継続してやっているということはすごいことだと私は思います。
そんな時に。
継続している中で生まれる悩み、抱えるものってあるんですよね。
伸び悩みや壁、と言われるものです。単純に結果を残せないことも含めて。
少なからず長いことやっていれば、そういうものにぶつかります。
実感するもの、なんとなくそうかなと思う程度のもの。
形は様々ですが、そういうものはきっとあります。
そういうものを認識した時、どうするべきなのか?が今回のテーマです。
自分のやってきたことを信じて結果が出るまで突き進むという方法もあります。
私は、基本的にやり方そのものについて考え直すタイプです。
今日はそういう方向で考えてみたいと思います。
事実を見る、ということ
私は。
他人の心を読むとかそんなオカルトな能力は持っていませんし、目に見えないものは基本信じていません。
できる限り、客観的に見れるものを判断基準として採用しています。
自分がやってきたこと、目的、目標。
そういうものに対して、現状どんな状態にあるのかを目で見て、耳で聞いて、事実を認識して考えるようにしています。
資格の試験に落ちた。
会社で悪口を言われた。
こうなった、ああなった。
圧倒的事実であるほど、受け止めるのは容易です。と言うか避けられません。
それらは、認識できた時点でもう起こってしまっていることなので。
取り消すことはできず、別の何かで挽回するしかないことでもあります。
誰かがこう思っているかもしれない、こうなるかもしれない。
そんな見えないものに縛られても、時間ばかりかかって答えもさっぱりしない。
なので私は、事実を見る。
こう考えるべきなのかなと思っています。
現実から見える、やるべきこと
で。
見えた現実が良いものならば別にそれでいいと思いますが。
現実はそううまくいかないものです。
うまくいっていない。思うような結果が出ていない。
そう認識したら、どうするべきなのでしょうか。
私は、すっぱりこう考えます。
今までの自分のやり方が、間違っていたんだなと。
事実なのですから。結果は純粋に出ているのですから。
そう思うしかないんです。
まだ結果が出ていないだけ。
そう考えることもあるのですが、結果が出るか否かを問うている時点で、結果が求められている。
ならばその瞬間に結果が出ていないということは、やり方が間違っていたと捉えることは少なくとも的外れではないはずです。
サンクコストを消し去る
継続してやってきたことって否定されると面白くないものです。
これだけ頑張ってきたのに!間違えていたなんてありえない! だからこのままでいいんだ!私は間違っていない!
ギャンブラーの誤謬よろしく、こんなに頑張ってきたんだから次こそは結果が出るはず!
なんて、そういう心の反応をざっくりサンクコストと言ったりします。
払ってきた代償を理解しているからこそ、間違いとして認識したくない。
代償を無駄にしないために、それまでの行動を変えることができない。
そういうものです。
気持ちは痛いほどわかります。
頑張って、結果を残せなくて、その努力まで否定されたら悲しい気持ちも分かるんです。
しかし、事実として結果を残せていないならば評価には繋がらない。
努力を認めてもらうことは有難いことに変わりはないし、経験として絶対に無駄にはならないのだけれど。
残念ながら残すべきは結果で、努力がどうのと他人に認めてもらうのは慰めの側面が強い。
なので。
思い切ってその考えややってきたことを捨てるということも大事です。サンクコストもあまり良い意味で使われません。
徹頭徹尾やスポ根も否定はしませんが、一番に求めるべきなのは過程や努力そのものではなく。
基本的には目標を達成するということなのですから。
サンクコストを捨て、目的の達成を貪欲に目指す。
こういう考えを求められる場面が、実は結構あるのではないかなと思います。
おわりに
これは私の、ブログを書く用かつ一人思考の時の私の考え(ペルソナ)で。
例えば悩みを打ち明けてくれる人を目の前にした時はこういう考えは一切出てきません。
テレビのチャンネルを変えるように。
最早何が自分の本心かは分かりませんが、こういう考え方をする私はあくまでもこの瞬間だけです。
心ってよく分からんな、なんて今日も思います。
努力には、人生の多くの時間を割きます。
何事も経験で、何事も勉強で。
時には、自分の人生の半分以下しか経験していない子どもたちに教えられることすらあります。
学ぶこと、努力することは尊く、生きることにおいて間違いなく必須の項目です。
努力することは大事だし、目標に向かって脇目も振らずにひたすらに継続すると言うことも。
否定はできませんしするつもりもありません。
だからこそ、そういう考えもふくめて。
努力することの意義や方法を自分なりに考え模索し、研究し実践することはとても大事なんじゃないかなと。
そんな思いで書かせていただきました。
なんて。
なにがし。