日本に、空気を読むという言葉が定着しています。
今日は。 自分って空気が読めない、そんな悩みを抱える人に。
結論は。
読まなくていいと思う、です。
空気を読む時代は終わりつつある
これまでは。
空気は読むべきものだという場面は少なくありませんでした。
波風立てない方が良いのは、奥ゆかしい文化的に明らかなので。
日本人なら、空気を読む。
学級委員長に立候補する人はいませんでした。
先生は〇〇くんを推薦しますがみなさんどうでしょうか?
という、様式美みたいな。
そんなものがあった時代がありました。
しかし。
グローバル化だ、ダイバーシティだと言われる昨今では。
わりかし空気を読まなくてよい場面が増えてきているように思います。
空気を読めないという長所
なんだかんだ。
上司に意見できる人が偉くなったり。
はっきりと自分の意見を言えることが立派だと評価されたり。
空気を読めなくても堂々としていれば、それは稀有な存在とみなされることがあると思います。
たいがい、学生時代のクラスの人気者は空気が読めない人だったと私は思います。
更に。
厳しい上下関係の中よりも、そうで無い環境で育った人の割合が増えてきて。
多様化も少しずつ理解する人が増え。
空気を読まないことが認められるようになってきたんじゃないかなと思います。
飲み会なんかいい例ですよね。
参加しませんとはっきり言える環境になりつつあります。
私が社会人になりたての頃は(もちろん職場柄もあったのでしょうけれど)まず断ることはできませんでしたし。
良く言えば個人の領域が守られるようになり、悪く言えば他人に干渉しにくくなった。
そんな風にも思います。
空気が読めないという、特性
だからね。
なんて言うんだろうか。
ちょっとぐらい失言したっていいじゃん?と都合よく私は考えてしまうのです。
場を白けさせたら、それはそれで面白いかもしれない。
私は、そう考えてしまうのです。
はっきり言って。
空気が読めすぎる人は気遣いが過ぎるとまで言われることもあります。
(私です)
ちなみに結構な割合で外人は空気なんて読みません。
日本人とは文化は違うが故ですが、最近は何でもかんでも外人の考えをヒューチャーしている日本ですから。
そういう考えでもいいんじゃないでしょうか。
空気が読めない。
そういう自分を許せないと思ってしまう気持ちも分かります。
私の言葉は、今回そう言う人にはあまり響かないかもしれません。
きっと苦しい経験をしたから、気にしてしまうのだと思います。
上手くコントロールできない気持ちは、少なくとも私は分かるつもりです。
空気を読める人間になりたいなら嫌というほど人と話して場数を踏むことです。
逆に、空気を読めないではなく、読まない人間になるなら堂々とするのみです。
そんなことを今日は、伝えたいと思いました。
おわりに
一つだけ。
私が空気を読み違えた時の必殺の一言を書いておきます。
笑いながら言う「あ、違うか」です。
芸人さんも使う滑った時の保険の自虐テクみたいなやつですね。
これもまぁ、堂々と言わなければいけないので難しいと言えば難しいですが、
これを言えたならもう、怖いものはないテクニックだと私は思います。
敵は自分自身。
そういうこともある。
逃げても、立ち向かってもどちらでもいいけれど。
見て見ぬ振りだけはしてはいけない。
なにがし。