人を気遣う人は、生きるハードルが高い。
今回はこの記事の中身をもう少し掘り下げてみます。
気遣いができる人は私はすごく好きなのですが、恐らくこの感覚は。
基本的に人を気遣うということに異常なまでに抵抗がないからなのだと思います。
だから。
そこまでいかない人にとっては。
気遣いの中に、疲れやストレスを見出します。
だから、一見うまくいっているようでも、実はそんなでもない関係に落ち着くことが多い気がします。
気遣いについて、悩みがあったりする人へ向けて。
周りに気遣う、ということ
前回の記事をざっくり書くと。
人を気遣いまくったり良い人であればあるほど。
ちょっとしたことで評価がガクッと下がったりして、なんだかんだ大変な思いをする。
そんな話でした。
気遣いは気遣いを呼ぶ
気遣いは気遣いを呼びます。
自分の行動やその相手に対しての態度は基本的にそのまま返ってきます。
だから相手に対して、私にも気を遣えというメッセージを送るということにもなり得る。
つまり。
意図していなくても、他人に気を遣わせるということにもつながります。
だから。
気遣い慣れしていない人なんかは、そういう人を苦手とする場合が多く。
そうでなくても、付き合っていてなんか疲れる、というイメージをもたれてしまいます。
気遣いは気遣いを呼び、遠慮は遠慮を呼ぶ。
毎日接しているならば、着かず離れずの微妙な距離を保たなくてはならないのです。
自分は他人を気遣って満足しているつもりでも。
結局自分の有利なポジションで人と付き合っている。
それは良い側面も、悪い側面もあるもので。
すごく難しいものだなぁと思います。
結局気遣いは、どうなのか
これはもう。
賛否あるものなので。
結局自分で見出すしかないと思います。
一つだけ言えるのは。
誰に対しても気遣いだけしていれば良いというのは絶対にない。
そう私は思います。
何事も表裏一体で、塩梅というものがあります。
良い側面も悪い側面も。
相手の立場や考えを見据えての行動こそが、真の気遣いです。
他人に対して本当に気遣いがしたいならば。
実は気遣いだけしていてはならない。
そんな風に思います。
おわりに
なかなか難しいんですよね。
私も、正直自信はありません。
ですが。
なんとなく最近。
こんなことを思うようになりました。
本当の気遣いって。
丁寧な言葉を使ってれば良いわけではなく。
生きる上でこれだけやってれば良いってものはそんなに多くない。
ていうかほとんど無い。
そんなことを今日は。
思った次第です。
なにがし。