病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

慰める権利の話。

誰しも落ち込むことってあると思います。

親しい人や大事なペットとの死別。
失恋や仕事の失敗、トラブルなど。

いつ誰に何があるかなんて分かりません。

例えば身の回りで落ち込んでいる人がいる場合。
どう付き合えば良いのでしょうか?

私は、落ち込んだ人を慰めるという行為は。
誰でも気軽にやって良いものではないと思っています。

まずは、落ち込んでいる人に対しての接し方から。
そして最後に。
誰でも気軽にやって良いものではないという根拠を書いていきます。

中々に難しいテーマですが、書いていきたいと思います。

人との接し方に、正解なんてない。

いきなりですが、ご理解いただけるかと思います。
こうなったからこうする、みたいな接し方の正解はありません。

目の前の相手をちゃんと見据えること、そして関係性と目的意識を持ってどう接するかを決める。

これをまずは理解しておくのが大事かなぁと思います。

まずは、見た目や行動の変化を見る

基本的に。
大きなショックを経験した人は、空虚な感覚に包まれています。

元気がない、覇気がない。泣いている。目が腫れている。充血している。
声が小さい、目が虚ろ。下を向きがち。
家や部屋から出ようとしない。無気力。

見た目は元気でも空元気の場合もあります。
見るからに落ち込む人と無理して気丈に振る舞う人がいます。

この段階からもう、千差万別と言って良いでしょう。

相手の話す言葉よりも、表情や顔つき、体の変化にまずは気を配ると良いかと思います。

ショック直後の声の掛け方

これは、特に相手との関係性が重要かなと思います。

相手の出方を見て、まずは相手自身の体の気遣いの言葉などが当たり障りがないかと思います。

ちゃんと休めているか?
食事は取れているか?
顔色が悪いならばちゃんとそれを伝えて、心配している気持ちをぶつけましょう。

相手が明るく接してくれるならば。
無理に神妙にならずに、そのままのテンションで返すことも大事かと思います。

空虚な心には。
仲の良い相手との変わらない、他愛ないやりとりが沁みることが多いです。
出来るだけ気負わず、隠さず。
いつものやりとりのように接することができれば、相手も安心するかもしれません。

心的ストレスから攻撃的になる場合もありますので、その際は自然に距離を取るのも良いかと思います。

その場その時に無理をして接するよりも、
時間経過によって心が落ち着くのを待つ。

そんなことも手段の一つです。

時間が経ってからの接し方

人間、つらい経験をしても。
ずっとその瞬間の気持ちに包まれているわけではありません。
フラッシュバックなどで長い期間苦しむ場合もありますが、ある程度は必ず忘れます。
苦しい気持ちも必ず薄れます。

なので。

少し時間が経ったら、いつもと変わらずに接することがお互い少し楽になると思います。
許されるならば、少し強引にでもどこかに引っ張っていくのも有りだと思います。

これももちろん、それまでの関係性によってできることとできないことがありますが。

普段から飲みに言ったり遊びにいくような仲ならば、それも良いと思います。

弱った心には、そういうバイタリティや力強さに触れることが効いたりします。

もちろん、あまりにも嫌がるようならば考えものです。

いずれにせよ、相手をしっかりと見据えることです。
普段見ている相手ならばこそわかることもあると思います。

そして苦しんでいるからこそ、相手は人の態度や目線が気になるものです。

あくまでも自分が無理をしないということも一つ、大事なのかなぁと思います。

そういう態度で接することができないならば、無理をせず付かず離れずで見守ることも手段かなと思います。

慰める、権利

今回書いた内容は、どちらかと言えば落ち込んでいる側からの目線で書いています。

心底そっとしておいて欲しい人もいれば、
積極的に関わってもらうことで元気が出る人もいます。

何にでも言えることですが、
この人ならば、という意思は大きな意味を持ちます。

時と場合、状況にももちろんよりますが、
普段関わりのない人に慰められても嬉しくない時は嬉しくありません。

なので。

ぶっちゃけ。

関係性次第で、ほぼ決まる部分もあると思います。

仲が良ければ、その人には慰めて欲しい、こんな言葉をかけてもらいたい。
そうでなければ、放っておいて欲しい、話しかけないで欲しい。

どっちでも良い人には、まぁそれなりの言葉をかけてもらえれば良いかな。みたいな。

実際、そういう人は多いと思います。

なので。 相手との関係性を抜きにしてこのテーマは語れないと思っています。

そしてこの関係性こそが。
慰める権利だと私は考えています。

関係性が構築されていなければ、信頼がなければ。
はっきり言って土台からして厳しいんです。

ちょっとキツい書き方かもしれませんが。

その辺りも少し視野に入れておいてもらえれば良いのかなと思います。

相手も自分も無理するぐらいなら、そっとしておくのも手段です。

それで落ち着くならば、それで良いと思うんです。

一番の目的は、何か。
慰める、元気付けるという行為そのものは目的ではないはずです。

誰も言わないけれど。
とても複雑なものなのだけれど。

目に見えない、落ち込んだその人を慰める権利

権利と覚悟がないならば、ショックで剥き出しになった人の心に深く踏み込むのは禁物だと私は思います。

もちろん時と場合にはよりますが、ね。

おわりに

身の回りで苦しんでる人にどう声をかけたら良いのか分からない。
という話から今回この記事を書いてみました。

実際。
ここまで読んでくださったならば伝わるとは思いますが、
私にも正直、正解は分かりません。

ここまで書いておいてなんですが、

一見、人の心を踏みにじるようなやり取りが、
その人にとって何よりの薬になったりもするもので。

小綺麗なカウンセリング理論が全面的に正しいとも言えないと私は思います。

結局。
目の前の人を見据えることが何より大切。

もう少し踏み込むと。

自分の言動によって相手の心がどう動くかを察すること。

踏み込むならば、せめてこれぐらいは。

そんな思いを伝えられたらなぁと思います。

なにがし。