アドバイス。
これ、私はとても難しいものだと捉えています。
今日は、そんなお話を少し。
バッサリ書いてしまうと。
何気なく使うけれど、アドバイスって地味にやばい。
難しいんですけれど、そんなことを書いてみようかと思います。
アドバイスは、人の心に突き刺さる
シチュエーションによるという部分は少なからずありますが。
悩んでいる人にアドバイスは危険、という考え方があります。
理由としては。 アドバイスの中には、否定の成分が含まれているからです。
相手が悩んでいて、迷っていて。
それに対してああした方がいい、こうした方がいいというアドバイスをする、というのは。
どれだけやんわり言ったとしても、
あなたのやっていることは間違っているから私の言うようにやりなさいという意味合いを含んでしまうんですね。
ただでさえ思い悩んで、心が疲弊している相手にこの言葉は当然刺さってしまいます。
悩める人がほしいもの
ここが肝です。
悩める人が何を欲しているか。
悩める人が欲しいものはたくさんありますが、とりあえず。
慰め、肯定、救いの三つをピックアップします。
慰めと肯定はとにかく優しく自分のことを慰めてもらうということ、自分を肯定してもらいたいという思いです。
救いはもう、誰かに直接なんとかしてもらいたいと言う気持ちです。
アドバイスは、このどれも満たしません。
否定を含むので慰めも肯定もなく、言うだけで一緒になにかをやるわけでもないなら救いにもなりません。
悩める人の心にアドバイスが伝わりにくいというのはこの時点で明らかかなぁと思います。
アドバイスが本当に必要な時の見極め
とはいえ、アドバイスが必要な場面も当然あります。
それは。
問題と向き合って、それを乗り越えようとしている時だと私は思います。
自分はどうするべきかという情報を探っている時にこそ、アドバイスを素直に、そして効果的に吸収できるタイミング。
そこでズバッとアドバイスを言える存在はとても頼もしいんじゃないかなと思います。
おわりに
どうしても。
悩んでいる人にはアドバイスしてしまいたくなるもので。
私も何度も言ってしまった経験があります。
普段接している人ならまだしも、そうでない人はこの段階で、この人はダメだと思ってしまうそうです。
私も実際に思い悩んでいる時に突然のアドバイスをもらったことがあって。
ぶっちゃけ、この人はダメだと同じことを思いました。
悩んでいる人に対するアドバイスは、それを求めてない時に言われてしまうと。
もうまるっきり自分を理解してくれないとすら感じます。
厳しく書いてしまうと。
言う側は、それで相手を救ったと勘違いしてしまいます。
その時の目的は、相手を救うことじゃなくて自分の有能アピール、過去自慢になっているとも知らずに。
もちろん、悪気はないのも分かっていますが。
相手と、時と場合と関係性をまるっきり無視すると、最悪こういう風に捉えられてしまいかねません。
アドバイス、助言が人を救うこともあるので。
その全てを否定する気はありませんし、実際それが上手な人もいて、そういう人ははっきり言って尊敬に値します。
しかし、それができる人は多くはありません。
確かな実績と知識、才能、センス。
そういうものが絶対に必要です。
そうでない人にとっては、アドバイスの使いどころは考えなくてはなりません。
何気なく使いがちですが、それだけの力と圧力を持っていますよ。
使い所を見極めないと、大切な存在や築いてきた信頼を容易く失います。
なんて。
今日はそんなこと伝えたいと思いました。
なにがし。