病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

人の持つ役割を語る。

コンプレックス。

一般的な意味で書くと、自分における嫌な部分を指す。
(心理学的な意味のコンプレックスはちょっと意味が違う)

今日は。
一般的な意味におけるコンプレックスと、それに関しての考え方を少々。

コンプレックスは、苦しい

例えば、太っているとか。
自分の見た目が気に入らないとか。
病気によって人と違うところがあるとか。

色々そういうものがあって、
それが自分にとってとても嫌なものだ、と感じる。

それがコンプレックスで、言うまでも無くとても苦しい。
太っているなら頑張って痩せるという方法があるが、病気や見た目のコンプレックスは特にきつい。

十代の多感な時期。
周りは軽々しくその傷に塩を塗りつけ、
お金もないので自分の力ではなんともすることができず。
相談もしにくい。

自分の体や顔なのに。
それを認めることができない。

それに悩まされることは、本当に苦しいものだと私は思う。

自分の個性を知る

生きていると、ある選択をしなければならない時が来る。

それは。

努力で自分を変えるか、
自分の持つ役割を全うするか、その二つだ。

生きていると、物心がつき、
いずれは明確な自分という存在と向き合って生きることになる。

そうなった時。

周りの人間も少なからずそういう実感を持ち、そして思い悩む。

築き上げた自分自身の個性を今後どのようにしていくべきか。

中学、高校、大学、社会と生きるステージが変わるにつれ。

自分はどうあるべきかに悩みを抱える。

その時に現れる一つの選択が上記のものだ。

努力で自分を変えるか。
自分の持つ役割を全うするのか。

もちろんどちらかが間違いというものではない。

コンプレックスも含めて、自分がどう生きるか。

その選択にかかっている。
もちろん選択といっても、後で変えてもいい。

たくさんある、役割

例えば、太っている人がいる。

その人の前に現れる選択は。

そのままの自分でいるか、
痩せる努力をするか。

そんな選択だ。

そのままの自分を選んだ場合。

その重量を生かしたスポーツをするとか。
ライバルが少なめのぽっちゃり体型の役者を目指すとか。

太った人にしか目指せない道が見える。

痩せた場合は、その道はなくなり。
また別の道が見えてくる。

どちらが良い、悪いでは無く。
役割による違う進路がある、ということ。

そしてそれは、どちらか片方しか目指せない場合もある。

そんな風に。

コンプレックスは捉えようによっては武器にもなるということだ。

自分の見た目が気に入らないけど、その見た目を活用して芸人になったなんて話もある。

そういう人は、同じく芸人を目指す平凡な見た目の人からしたら憧れの対象にすらもなるだろう。

人は平等なんかじゃない

生まれた時に配られた、自分のカードで勝負するのが人生だと私は思う。

努力によって得られるカードも正直限られている。

何を捨て、何を伸ばし、何に向かって努力して。
何を得て、何を騙して、どう苦しんで。

人生は不自由だと感じるのも、自由と捉えるのもどっちだっていい。

全ては自分という人間が、何をやるかやらないかを選ぶのが人生だ。

一定の年齢になったら、そこに対しての言い訳なんかほとんどできない。

なんて私は、思うのです。

おわりに

役割。

人の世って私は深いと思う。

誰の役にも立てない人は、きっといない。

極論だけど日本語を話せるだけで、
ただ話し相手が欲しい人の友達にだってなれる。
誰かに必要とされる存在になれる。

自分の嫌な部分だって、
それを持っていない誰かにとっては憧れだったりもする。
同じ悩みを抱える人にとっては、欲しくてたまらない仲間だったりもする。

見つけていないだけで、誰しもが心地よいと感じる居場所はきっとあると私は思っている。

ただ、そこを求めるという行動の先にしかそれは無い。
まだ出会っていないなら、もがいて見つけるしかない。
大変なのは分かってるし難しいのも分かる。

でも。

欲しいものがあるなら手を伸ばさなければ。
近づかなければ。

手に入らない。

なにがし。