病んでる系カウンセラーのブログ

カウンセラー(アマチュア)視点で書くゆるゆる日記

自分の選択に自信が持てない時の話。

f:id:tpippi:20200701185004p:plain 自分の選ぶ行動に自信が持てない。

そんな時、どう考えたらいいのでしょうか。

そんな、自分の行動に迷いを抱える人に。

みんながみんな、同じ考えはきっと持たない

はっきり言って私は思います。

世の中の誰もが否定する行動なんて存在しない、と。

人の世の営みはそんなに簡単なものではないし、常識とかいうわけの分からないものに縛られるようなものじゃないので。

きっと。
自分の選択を、間違っていないよと言ってくれる人はいるはずです。

ただ、そうやって背中を押してくれる人が身近にいないか、いなかっただけ。

一個人の行動の選択に対して、世の中の価値観を照らし合わせるのは難しいものです。

とても見えにくいけれど。

〇〇ってどう思いますか?間違えてますか?と十万人にアンケートを取ったとして。
十万人全員が間違えていると答える問いははきっとまず、無いと思います。

1+1は2である。マルかバツか?
という質問だって、十万人ぐらいに聞けば田んぼの田だからバツ!とか答える人はいるんじゃないかな。

そんなイメージです。

価値観とルールと最後の判断基準

もちろん。

どこにだってそれなりのルールはあります。
ただ、そのルールだってその場の小さな決まりごとみたいなもので。

世の中、行くところに行けば。
まるで信じられないような考えで動いている場所もあるし、とんでもない価値観に満ち溢れた場所だってあります。

世間では、ブラック企業はあり得ない、とか言ったって。
ブラックさながらの環境に当たり前に身を置いている人はまだまだ当たり前にたくさんいます。

不倫なんて絶対あり得ないと言っても。
親しい友人が本気で悩んでいればそれを肯定することだってあるだろうし。

偉い人が白だと言えば黒く見えても白と答えざるを得ない人もいると思う。

法律とか社会のルールと、限られたコミュニティの中では、微妙にズレがあって。

じゃあその中で何が正解か不正解かなんて誰が決めるのって話です。

それは。

自分の心の中で判断するしか無いんじゃ無いかなと思います。

なので。

何が正解か?を求めるよりも。
なぜ自分はこうしたいのか?をしっかりと見据えることが大事だと思います。私は。

選択における社会という敵

社会って、汚い。

私たちが子どもの頃。
大人たちがひた隠しにした世界。

それを目の当たりにすれば。

きっとこんなことを思うのは罪ではないと思います。

自分の選択に自信が持てない、障害となる大きな敵は、きっと社会です。

こういう世界だからこそ。
人は迷い、強くなるのかもしれないけれど。

多くの人が、少なからず己の利益の為に行動しているので。

自分だけが悪いとか、こんなことをしたら人になんて思われるだろうとか。

気にはなるけれどそんなには、気にしなくて良いような気がします。

人は、忙しいので。
そんなに人の行動を気にしていません。

おわりに

思ったよりも世界は自由だ。
そして想像していたよりも世の中は、ずっと汚い。

想像の10倍美しいものもあれば、100倍がっかりするものもある。

身を置いた環境で自分はどうあるべきなのか。

それを、強く強く願い、深く考え実行することだけが。

きっと、自分という存在をありのままに表現する方法なんだろうと思います。

地にしっかりと足をつけて。
自分の目で見据え、行く先を探す。

最初から澄んだ水にはきっと有り付けない。

誰かに寄り掛かっても、本当に困った時に頼れるかなんて分からないんだ。

だったら自分で、澄んだ水を作る方法を考える方がよっぽど建設的です。

じゃないと。
下手をしたらこの世界は、何も得られない。

今日は、そんなことを思いました。
なんて。

なにがし。