皆さん、弱音や愚痴を吐いていますか?
一般的に弱音や愚痴は良くない、と考える人は多いと思います。
私も、そう思っていた時期がありました。
しかし。
ある知人の考えを聞いて。
うーん、言われてみればそうなのかもしれないと納得した考え方があります。
今日は、そんなことを。
良いか悪いか、ではなく自分がどう感じるか。
そんなことを意識して読んでもらえたら幸いです。
昔の話です。
私には、弱音や愚痴を封印していた時期がありました。
誰が見ても参ってしまう様な状況だったのか、周囲の人からもっと言いたいことを言いなさいと何度も諭されていました。
しかしその頃の私は、弱い部分を他人に見せたくないが故に無理して明るく振舞っていました。
人に迷惑をかけたくない思い。
結構頑張って書いた昔の記事です。
こんなことを書いたきっかけにもなった話で。
ある日、知人にポツリと言われたんです。
「なにがしは人に弱音を吐かないんじゃなくて、吐けないんじゃないの?」と。
その時はなんとなく話を流しましたが、私は後になって正直ドキッとしました。
当時。
ありがたいことに私が本心を晒して甘える人は、ごく少数ながら存在しました。
しかし心の奥底までがっつり晒せるかと言われればそうでもなくて。
視点を少し変えれば、ちゃんと分かり合える人がいない人間だったということです。
つまり。
ものすごくざっくり言ってしまうと、俗に言うコミュ障みたいなもので。
本心や愚痴、弱音を言えるけど言わないのではなくて。
それを言える様な関係性を構築できなかったから、結果的に言う機会がなかった、ということです。
ぐっさりと私の心を抉った知人の言葉。
情けないやらなんやらでどうしようもなかった、というような話ですね。
さて、話をここに戻しましょう。
もちろん、みんながみんなそうではないと思います。
愚痴や弱音を言うのは申し訳ないと思って、堪えている人もいるとは思います。
しかし。
もし、自分がそうだと思っている人は一度立ち止まって考えてみていただきたいなと思うのです。
本当に、言えるけど言わないのか。それとも言いたいけど言えないのか。
受け止めてくれる人がいないのならそれは、言いたいけど言えないだけです。
言いたいのなら、言える関係性を構築しましょう。心の中の、見えない枷を取り除くだけでも少し違うはずです。
あえて言わないのならそれもいいと思います。
思いを吐き出すことは、リスクも伴う。自分の役割も責任もそこにはある程度くっついてきます。
言わないことを責める気はありません。
しかし、もし吐き出したいという気持ちがあるならば。
その場所を自分のために探すことは決して恥ずかしいことではない。
少なくともそんな風に、私は思います。
気を抜くと忘れてしまうので、自戒も込めて。
なにがし。